辻川慎一つくば便り

心と動作の優雅さを目指して

今日は、とてもさわやかなお天気の日曜日になりました。

午前中に懸案事項をやりました。枯れてしまった生垣のドウダンツツジを伐採し積み上げたままだった大量の枝の始末をして、さらに家の中の植物の土の入れ替えを致しました。

うんざりするくらいの量の枝をなるべく細かくさらに切り、ゴミ袋にいれる。ゴミ袋に入れないと持って行ってはもらえないのでございます。なので観念して、入れて行くのですが枝が抵抗してなかなか入らない。袋が破れる。なのでさらに細かく切っていれる。そんな作業をこつこつとやりました。

ゴミ袋6枚分ございました。生きていたものを処分するって、やっぱり大変な事だよな〜と実感しながらでした。


(別れた妻が好きな植物ばかり植えて来たのですが、何だか今年は良く咲きます。別れた事を祝福しているみたいな感じさえ致します。「ハゴロモジャスミン」の花も咲き出して、良い香りを放っております。)


土の入れ替えの方は、毎年一回やって来ましたのでずいぶんと手際が良くなりました。その手間で、1年枯れずにいて楽しませてくれます。


別れた妻の誕生日にプレゼントした「デンドロビウム」にも、花が咲きました。



やはり、こちらに来て彼女が気に入ったと言うので植えた「福来ミカン」にも今までに無いくらいの花が咲いて来ました。近寄るととても良い香りが致します。


植物が次々と花を咲かせて来るのは、当たり前と言えば当たり前なんですが、どうして今なの〜なんて思います。私が家を売ってしまえば、みんなそれまででしたので、売らないと言う決断を喜んでくれているのかも知れません。

植物にも心があるのだと思います。感じ様としなければ分からないのは、人の心と同じ様に思います。


別れた妻が東京にいた時に、オリンピックと言うホームセンターで私が買った「幸福の木」8年近くなって大きく育ちました。育ち過ぎて土の入れ替えが大変なんですが、絡んだ根をほぐしながら入れ替えました。


するとね。葉がつやつやして元気になるのが分かります。喜んでいるのが分かるのです。

人間も同じです。身体と心の状態がちゃんと顔や動作に出るのです。元気かどうかは、良く見れば分かります。

昨日私が研修指導した後輩運転士さんを私はじっと見ながら、座席で彼の運転を感じながら、彼の心の不安定さも感じました。

ちょっとの不安があると途端に運転が雑になってしまいます。しかし、ずいぶんと良い状態の時が出来て来ましたので「そうそう、それで良いと思います。いつもその様に運転して下さい。」と安定する様にアドバイスさせて頂きました。

次に一緒に乗る人が大ベテランの運転士さんで、いよいよ「見極め」になるのですが「厳しい人なので緊張します。」と言うので「私も緊張して失敗して来ましたので、余計な事は考えずに心をゆったりと構えて自分の運転に集中して下さい。慌てていない時の運転は、大丈夫なんですから。」とそんなお話しをさせて頂きました。

すると、終わってお別れする時のお顔は明るいのですね。

プロの運転士さんと言うのは、動作にも余裕があります。ゆったりとしながらも、良く見ていて機敏でしっかりした動作もできます。つまり、美しいくらいの感じがあります。

私はまだまだ修行が足りませんが、経験の浅い人はガチャガチャしていて余裕がなく見苦しい上に、乗り心地も良くありません。



それは、心の置きどころの反映であり、心が顔にも運転にも正直に表れるのだと私は思っております。


人の命を乗せて、人を運んでいるのだよって、自分の波立つ心を感じる時は自分に言い聞かせます。だから、他の人の心の状態も感じられるのだと思います。

じっと見て、感じ様とすると感じられるのは、植物も動物も、人間も同じだと思います。感じ様としない人や自分の都合や事情にとらわれている人には見えない。

それが、見えなくても誰しもにある心なのだと思います。心が元気になると、身体も動作も変わって来るのですね。

あ~、思い出しました。優雅な動作と言うのは、二つの事をいっぺんにやろうとしない事にあるってJALの客室乗務員さんの言葉でした。相手や周りを良く見て、一つ一つの事を丁寧にできる事が、優雅な動作と言う訳です。一つの動作にも心を込めてやって行く中で身について行くのが優雅な動作。

やはり、日々の習慣の積み重ねなのだと思います。

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