今夜は豪雨予報なんですね。
梅雨の季節が来ているからではないのですが、フジコ・ヘミングさんの「雨だれ」を聞いております。
仕事の前には特に心が落ちつきます。

フジコ・ヘミングさんは、中耳炎と生活の困窮から一時は聴力を全て失いながらピアノを引き続けたとのことで、今でも片耳の40%しか聞こえないらしいですね。
大変な苦労をされながらピアノを弾き続けて来た人です。何だか片腕の漫画家水木しげるさんと共通するな~と私は思います。
もう90才くらいになるフジコ・ヘミングさんの言葉です。
「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」
「誰が弾いても同じなら、私が弾く意味なんてない。だから私は私だけの音を大切にしているの」
「この歳ですが、心は16歳の頃のままなの」
ミスが多いけれど、他の人と同じにできるなんて事に意味を感じない。私には私だけの音がある。
どんなに困窮しても、聴力を失ってもピアノを弾く事を止めなかった。そこに、人としての力を感じます。
例えピアニストで無くても、あなたにはあなたの音色がある。他の人と同じになりたいなんて事を追いかけるなんて事に生きる意味はあるの?
そんな感じでしょうか。
大雨が降ると茨城県南部では、2015年9月の鬼怒川の氾濫が思い出されます。
私に仕事を教えてくれている介助人さんも被害にあいました。そして「決壊は、流れが遮られるところで起きる。」と話してくれました。

なるほどーと聞きながら、流れが滞るところに決壊が起こると言うのは、自然全般にある事だと思いました。
人体でも流れが滞り、溜まる場所がガン化します。
食物でも、血流でも、リンパでも、そして呼吸も流れを滞らせず、汚れを排出しないと「氾濫」が起こる訳です。
貯め(溜め)ているとそこから滅びて行く。流れと循環が大事なんですね。
やみくもに運動すれば良いのでなく流れを作り、良くする事を考えなければならない。
水木しげるさんが、財産や金にこだわるところに力は無い、力とは無一物になる覚悟の中から生まれると言います。何事も貯める人は、流れが悪く生きる力が弱いのですね。
貯める・溜める事への執着は人間の本当の力を奪うだけでなくガン化して滅びる。
資本主義だって循環を生み出して来たから力があったけど、流れが止まり滞留したら力を失い腐敗する。
水木さんもフジコ・ヘミングさんも、餓死しそうになりながら、人間存在と命の力の本質を見て来た様に思います。