辻川慎一つくば便り

袖すり合うも

みなさま、週末金曜日ですがご無事ですか?

お陰様で、多少ながらも色んな人と関わる毎日でございますが、相手への興味でなく自分が興味ある話ししかしない人が多い様にも感じます。自分が見たり聞いたりの噂話はするのですが、眼の前の人はあまり良く見ていない感じが致します。

今日は、朝の乗務後に留学生の壊れた自転車を自転車屋さんに運ぶ仕事を依頼されて、久しぶりにスクールバスの同僚たちと会えました。「お変わりはありませんか?」「辞めた人はいませんか?」等笑顔で話しながら、変化が無いかお尋ねします。

「あ〜誰かいた様な?誰だっけ?」みたいな感じなんですね。

何だか離れている私の方が知っていたりする訳です。

まあ、思い出されない人にもそれなりの理由があるのだと思います。辞めた方たちは、人より自分の方々でもございましたので高齢化や病気の問題だけでも無い様に思いました。

自分の事にしか興味がなければ、他の人がその人を案じる事も無い訳です。つまり、惜しまれない。


(自転車屋さんから軽トラを借りて来て、3台の故障自転車を積み込み揺れない、倒れない、落ちない様に縛ります。見様見真似の自己流ながら、何とか無事に配送できました。)


かく言う私も、他人事ではありません。「辻川さん、顔を見なくなったから辞めたかと思ったよ~。」「しばらくいないと席が無くなる会社だよ。」なんて言う介助人さんもおりましたので。

「油断も隙もない会社ですね〜」と笑ってお返しするのですが、それでもみなさん多少なりとも気にかけてくれている事を感じたりします。

自分の事や事情ばかり考えて言動していると、結局それだけの関係でしか無くなるのですね。

いくら頑張っても年は取りますし、身体も衰える。定年が無いドライバーとは言え身体が壊れたら、安全上の問題からもお払い箱入りになる。

その厳しさも現実ですが、人としてお払い箱入りにさせられるのには自分自身の人への関わり方に原因がある様に思います。


(疲れた身体に、妻ランチが沁みます。しらす、アボカド、トビッコにレモン丼ぶりでございました。)


昔から「袖すり合うも他生の縁」と言われて来ました。

他生とは、仏教の考え方で人は何度も生まれ変わるんだよって事なので多少では無いのですね。

つまり、袖が擦り合う様にすれ違う人にも深い縁がある。だから、大切なんだよって事ですね。

その様に人を気遣い、縁を活かすも殺すも自分次第と言う訳です。

長く人を見て来ましたので、その通りだよな~と思う私がおります。

私たちはやっぱり奇跡の様な出会いをして、今を生きているのでございます。

縁は、安易に無駄にする事も、悪い事に使う事も出来る。そして、大切にする事も出来る。大切にする努力を惜しむかどうかなのだと思います。

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