辻川慎一つくば便り

束の間

明日はまた雨が降る様です。
今日は、束の間の晴れ間になり近隣の公園には平日にもかかわらず「お花見」の人たちが来て、駐車場が満杯でございました。



晴の日の桜は、ひときわ美しく見えます。晴れ間も、桜の花も、あるいは人生も束の間に思えます。


ところで、「束」と言うのは握りこぶしの長さを言うのをご存知でしたか?一束が8センチとの事でございます。

その様に短く、儚いと言うので「束の間」だそうです。


ソメイヨシノの開花が例年より遅いため、八重桜も咲き始めております。


握りこぶしと言えば、私は仲間たちと一緒にこぶしを突き上げて来た事を思い出します。

こぶしを突き上げるのと言うのは、国際的に「抵抗と団結の象徴」なんですね。

労働者は、人として理不尽な扱いをされる事に対してみんなで団結して抵抗する。その時に、一緒にこぶしを振り上げるのでございます。

どうも金持ちを妬んで、金を取るみたいに思うふしもございますが、働く者の気持ちや誇りを踏みにじる事に対して、心を合わせて抵抗するのが本当の意味であると私は思います。



それぞれ違う人が、働く者としては同じだと心を合わせられる事。それ自体が、人間本来の共同性を取り戻す喜びになる。それが、団結すると言う事の素晴らしさなのだと思うのです。


妬みだとか、嫉妬を共有するのでも、何か立派な理想を共有すると言うのでも無いのだと私は思います。

別に金や権力を持っている者が幸福だとは限らない。それを守る事に汲々とする一生もまた束の間であり、そこに永遠がある訳でもありません。

小さな対立や違いを超えて、助け合い、理解し合い、悲しみは半分に、喜びは倍に。束の間のこぶしを突き上げるのには、そんな意味がある様に思います。

そう言えば、間もなく5月1日のメーデーの日が来ます。

例え小さくても、心から一緒にこぶしを突き上げられる仲間たちを増やして行けたら良いですね。



同僚が、わざわざ自宅農園に植えている芝桜の苗を分けてくれました。


こちらの桜も、一際嬉しく感じます。

私たち労働者は、束の間を一緒に働き、喜びを共有しながら生きております。

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