辻川慎一つくば便り

自由な心で

おはようございます。

暑い日が続いておりますが、植物たちはしっかり秋の構えをしているのを感じます。

植物は、地球、月、太陽と言う宇宙のリズムに反応しながら生きているのだと改めて思います。


炎天下でも稲刈りが始まりました。

封建的な時代から、資本主義の時代への転換のためには、身分が固定され家や土地に縛られていては労働者が生み出せないと言う問題がありました。

つまり、人間は一人の人間として「自由」だとしなければならなくなったのですね。

人間には、自由と人権と言う侵されない権利があるって事になりました。

それまでは、その人が生まれたところや身分で人生も決まっていたのですが、近代になると自分で決める事になった。

まあそれが「自己責任」と言う表現になる訳です。

これが中々大変で、いまだに自分に満たされない事があると、誰かのせいにしたがる人が大半の様に思います。



ところで、自由とか平等とかがちゃんと保証されたところに人権が成り立つと言うのですが、実際にそんなものがあるのか?

例えば「職業選択の自由」と言いますが「失業」や「餓死」の自由と一体な訳で、実際に自由に選ぶなんて言う余裕はありませんよね。

24日から、福島第一原発事故で溜められて来た放射能汚染水を太平洋にオープンに放出しはじめましたが、それがどう流れて行くのか、どういう影響があるのかは誰も分からない訳です。

イギリスのウインズケールでの核施設事故の際には、イギリスの海全体に汚染が周りました。

例えば、汚染された魚介類を食べたくない、あるいは食べさせたくないと思う人の選択の自由は事実として無い訳なんですね。食べないと言う「自由」があるだけです。

「食べたくない」と言えば「風評」に加担するのか!と言う圧力がかかる。コロナワクチンの時と構造が同じなんです。

選択の自由を奪っておいて、みんなでやらないのは変わり者の非国民だと言う構造ではありませんか?


かつて、国民に戦争を強制した時とこの国の支配者たちは、何も変わっていないと思います。それを非難しているかの様な人たちも心の未熟さも、実は一緒じゃないの?

そんな風に思ってしまいます。

自由って何よ?平等って何よ?

労働組合を作って、仲間たちと40年間闘って来ましたが、あらかじめそんなものはありませんでした。しかし、仲間たちの中には確かにあった。

心の自由を投げ捨てて誰かのせいにして来た人たちは、人を非難する事しかできない。結局は、現状を強制する役割を果たしている保守でしか無い訳です。

心をなくしているのは、同じなんだと思います。

もう一度宇宙から生まれた生命40億年の歴史の根本から見直す時が来ている様に思います。

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