辻川慎一つくば便り

自分の足元を確かめながら

みなさまおはようございます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、本当にそうだよな~っていつも思います。

季節の変わり目にお墓参りをするのには、無事に峠を越えられた事への感謝もある様に思ってしまいます。

私たちも家族でお墓参りに行って来ました。

私の両親と一緒に食事をして、帰路は大洗に寄りメロンロードを通って旧玉造町にも寄って見ました。


漁業や海水浴で栄えた町でしたが「ガールズパンツァー」で街興し。


「オタク」っぽい人たちがたくさんおりましたが、衰退感はどうしようも無い感じがします。

ここでも凄まじい少子高齢化の波を感じます。

「メロンロード」と言うだけあって、メロンを作るビニールハウスの数が確かに凄いのですが、人がいない。コンビニ含めてお店も全然ありません。

確かに農業生産物日本一がたくさんある茨城。そこまで発展させて来た事は凄い!と思うのですが、これからどうなるんだろう?って思ってしまいます。


鹿島鉄道終着駅の「玉造町駅」があった跡の無惨さ。


にぎわった事があるはずの駅前通り商店「街」も衰退が凄いので、何だか気持ちが塞いでしまいました。


ありし日の駅舎。う~、たぶん昔からこんな駅舎では無かったはずですよね。


そしてトイレに寄るために「たまつくりみちのえき」にも寄りました。

霞ヶ浦大橋のたもとにあり、新装開店工事もしております。そこから見える景色です。


霞ヶ浦は、土浦市側の入江を「土浦入」、高浜側の入江を「高浜入」と言います。


高浜入側から見た筑波山です。

玉造町には、かつて「高浜入干拓反対」の強力な闘いがありました。

それを率いていた人は、「山口武秀」と言う人でした。

戦前から茨城の農民を悲惨な暮らしから解放するために、農民運動の中心になった人で戦中の刑務所に6年入れられ、戦後は35000人の農民で常東農民組合を結成して激しく闘いながら、国会議員もやった人なんですね。

成田空港に反対する農民とも一緒に闘った歴史もあります。

そう言う歴史があり、人物が出た土地でもあった訳です。



今では、「知る人ぞ知る」になってしまいましたね。

新しい事を始めたり、切り開くためには、終わらせる事が必要なのですが、新しいとは何なのか?と言うと、先人たちが生きて残して来た良いものを大事にして引き継ぐ事。それは、単に守ると言う事でなく目まぐるしく変わる時代の変化に通用するものを生み出して行くと言う事と一体にあるのではないかと思うのです。

意固地でも、飛びつく事でもなく、人がその時代の中で残して来た良いものを今に生かす事が大切なんじゃないでしょうか?

今生きる人を大切にできず、次々に「新しい」ものや人に飛びつく浅はかな文化は、所詮長続きはしない。

そんな事を「ジャニーズ事務所」の問題は示してないのかな?

誰かを悪ものにして、済まして来た浅はかな時代や生き方が通用しなくなっている。

そんな事さえ思ってしまう訳です。

人やものをちゃんと見ないで飛びつくから、絶えず不安になり「新しいもの」が必要になる。

それを金儲けのネタにされる。
そう言う構造の限界なんじゃないかな〜。

自分の足元を確かめながら、今週も頑張ります。

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