辻川慎一つくば便り

老いと成熟

だんだんと当たり前の様にやっていた事ができなくなって来ます。

気持ちや意志では出来ると思っているので、疲労感が余計にあります。

出来ると言う事にこだわり、出来ない事を認めるともう自分には価値が無いのでは無いかとむきになる。

で、失敗するとめっちゃ落ち込む。

何だかそう言う事の繰り返しです。

それで、妻に何か言われると「君に何が分かる!」と腹を立ててしまいます。


(こちらは「カンディアチューリップ」と言ってエーゲ海の方のチューリップらしいです。初めて見ました。)


自分も高齢者の仲間入りして、しっかりドツボはまっている様です。

出来ないと価値が無いと言うのは、しっかり生産力主義と成果主義の会社社会の考え方なんですが、私もその脅迫に慣らされている様です。

老いと言うのをマイナスなイメージで捉えるのも、その影響の様に思います。

老いを人間としての成熟として考えるならば、人と共同して生きられる事。自分の事だけでなく、他の人の生活を思いやりながら共同できる経験や関係を作れると言う事になります。

一人で生きれる人なんて、本質的にはいないのですから、自立ってみんなと一緒に助け合って生きれると言う事に他なりません。


(こちらは中国から来たバラの仲間とのことです。)


生まれた時から死んだ後まで、人の手を借りて、助けられて人の人生はあります。

だから手を貸し、手を貸してもらう。それが上手くできるのが人間の成熟。

だとすると、自分で出来る事の証明に、自分の価値をかけると言うのは不満と孤立化しかもたらさない。


(韓流ドラマ「屋根部屋のプリンス」300年前の王の世継ぎが現代にタイムスリップして、過去の事件を暴こうとするのですが「偉そうなのがあなたそっくり」と言いながら妻が見ておりました。)


どうやら確実に老いながら、「偉そうだった時代」だけは引きずっている様です。

相当頑張って変えないと、人として成熟なんか出来そうにありません。

出来る出来ないより、もっととても大切な事がある。

いつまでも偉そうにしたい人たちを見ながら、自分も無関係ではないと反省する次第でございます。




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