辻川慎一つくば便り

翼なき野郎ども

昨日は、イチゴ農家の動労水戸のOB会長の家でイチゴを買い、干芋農家のJRの先輩の家で干芋を買い、お餅を頂いたJRの仲間の家に御礼を置き、帰宅して急死した隣家の人にお線香をあげに行って一日が終わりました。


OB会長のお父さんが採れたて。イチゴを妻の手に乗せて「水泳をやり過ぎてハゲちゃったんだよね。」と帽子を取る。


妻が「可愛い!」と言う85才のお茶目なお父さんでした。

そのまたお父さんは、血盟団と言う本物の右翼で農民のために命がけで闘った人でございました。

人を大事にする系譜が引き継がれていると、改めて感じた次第です。


JRの先輩は、流行りの「紅はるか」ではなく収穫量の少ない「いずみ」と言う種類の芋を使い、丁寧な干芋を作っております。


作りたての芋の中から「これが特に美味しいよ。」と妻に渡してくれました。

芋好きではない妻が「こんなに美味しいお芋を食べた事がない!」と絶賛します。

そして、あなたの周りは凄い人ばかりだね!と言います。

採れたてのイチゴと出来立ての干芋を、待っている人たちに早速送りました。


帰宅すると隣家に灯りがあるので、お線香をあげに行きました。

一人残された弟さんがおりました。

「兄は、都会に出て働いていたけれど職を失ってこちらに戻りました。職を探すのが大変だったので、ダブルジョブをしたのだと思います。一生懸命働いていたと聞きます。」

と話してくれました。そして、
「自分では何もできない兄でした。」と言うのです。

私は、何だか分かる様な気がしました。

真面目で一生懸命に人の「期待」に応え様とする。すると自分が一体何をしたいのか分からなくなる。

「期待」に応える事に自分の存在意味を見出すのですが、「期待」なんてのには相手への責任なんか無いのです。

勝手に思い込んでやっている。それを利用しているだけなんですね。「期待」に応え様とする人もまた勝手な「期待」をしている。「期待」なんてのは幻想だから、不満ばかりつのる訳です。

「期待」に応えようとするほど、自分の気持ちや好きが分からなくなり、自己肯定感が無くなって行くのです。

「期待」に応えるために尋常でないくらい「優秀」だった私も同じでした。彼と私も紙一重な訳です。

亡くなられた一人の労働者のお話を聞きながら「翼なき野郎ども」と言う歌の題名が思い浮かびました。

https://youtu.be/OCn2jGM0-Bw?si=GvC00DJjyB0veX4t

泉谷しげるさんは、この歌の最後に「負けるなよ~!」と叫ぶそうであります。

資本主義社会で高く上がるための翼とは、ただのお金でなく生産手段を持ち、人を使えるお金なんですね。

その翼が無い者は、地べたを這う様に働くしか無い。

そして、「期待」に応え様とすれば、するほど自分が分からなくなる。

そして、たった一度限りの命を終えて行く。楽しさや好きな事も分からないまま、孤独死してしまう。

仲間と言うのは、「期待」なんか関係ない。ダメなお互いを認め受け入れる。お互いの好きを大事にする。お互いが好きだから。

そうして生きる意味を見つけて行くんだね。

なので「正しい」事に従うか、従わないかなんて土台から違う訳です。

翼なき野郎どもの翼は、人も物も、自然も、自分の好きを大事にできる事から。

「期待」なんてクソ喰らえなんだと思います。

好きと気持ちを大切に、仲間たちと一緒に守る。

すると一人ではできなくてもみんなで飛べる!

違うかな?

そう言えば、我が師中野洋さんの最後の言葉も「負けるなよ!」でございました。

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