辻川慎一つくば便り

真冬の花に思う事

私は枇杷(びわ)が好きで、食べたあとの種を植えて何年もかけて実がなる様にした事があります。

そして、驚いた事ですが枇杷の花は真冬に咲きます。12月から翌年3月頃までが開花期です。

真冬に花を咲かせて一体虫たちが来るのだろうか?と見ておりますと、ちょっと暖かな日にはハチやハナアブがやって来るのです。枇杷の場合は、虫だけでなく鳥が受粉を進める鳥媒花でもあるそうです。


雄しべまで食べられない様な花の構造をしていて、真冬に甘い香りをさせているのです。


植物は自分では動けないので、虫や動物に食物を提供する事で、その種を増やし、広げる事で生き延びて来た。

私たち人間も植物無しに、存在する事は出来ません。


虫や鳥のお陰で5〜6月になるとたくさんの実を付ける事ができます。


それを私たちも頂く事になります。

私たち日本人は、この様な自然からしっかりと学びながら生活と歴史を刻んで来たのだと思います。

他の人々の利益になる事を考え、行う事無しに自分だけの繁栄は無いと言う「利他」の考え方にそれは現れていると思います。

自分だけの繁栄を考える人を「我利我利亡者」と呼んで軽蔑して来ました。

ところで日本社会の現状はどうでしょうか?「他人くたばれ我繁盛」や「今だけ、金だけ自分だけ」になっていないのでしょうか?

少子高齢化の上に、貧富の格差が広がり「貧困大国」と言われる現状があります。

利他こそが自分たちが生き残り、共に繁栄する道だと言う先人たちが残した知恵はどこに行ってしまったのでしょうか?



「我田引鉄」みたいに誤解されると困りますが、国鉄分割民営化はやはり大きな転換点だったと思います。


アメリカで始められた「新自由主義」の考え方に従い「全ての共同性は、資本増殖の敵である。その中心にあるのが労働組合だから、労働組合を解体せよ。」そして、日本の労働組合の中心は国鉄の労働組合である。

そうして、国鉄が分割民営化され、その政策に協力した者、屈した者だけ生き残らせる。とても激しい「変革」でした。

各労働組合も党派事に生き残る事ばかり考えて、利他どころかお互いに批判ばかりしておりました。

枇杷の例を上げましたが、利他とは自分が相手と共に時に厳しい自然界を生き延びるための進化であり、絶対条件なのです。つまり「共同性」とは、他者の利益を図ると言う事にある。

それが、自分たちだけは生き残ると言う考え方ならば自滅するのは当然の様に思います。

そもそも、自然に学び生活と歴史を積み重ねて来た日本人と、先住民と自然を征服して作られて来た移民の国アメリカと、根本的前提が違う様に思います。

戦争に負けてアメリカ支配の中で、アメリカに従う事で「繁栄」して来たと考える政治家や経営者たちと、やはりそこからの距離感で自分たちの位置を作って来た党派も、新自由主義と国鉄分割民営化に全く太刀打ちできなかった。

そう言う事なのだと思っています。


難しい話しになってしまいました。


JR日光線では、採算重視の効率化によって、車両編成を少なくして、さらに減便したために通勤通学時間帯に大混雑して、乗れない人まで出ているとの事です。

乗車人員が少なければ、赤字だから要員を減らし、最後は廃止する。
民営化してからのJRは、「金のなる木」は、とても大事にして来ましたが、そうでないものは切り捨てて来ました。

労働組合を敵視し続けて、労働者の連帯や共同性をとことん破壊して来ました。

さて、その先には何があるのでしょうか?

利他無き者に、繁栄は続きません。

誰しもが、春の雪だるまの様に儚い命を生きております。

超満員になろうと乗れない人が出ようと、採算には合わないと言う考えに利他と言う考え方はみじんも感じません。

少なくなっている子どもたち、若者たちに一体どんな生き方を引き継いで行こうとと言うのでしょうか?

もう一度、よーく振り返る必要があると思っています。

少なくとも「金のためにでなく、人のつながりに生きて来た」と言う、全ての党派との縁を切った動労水戸の仲間たちに、JRが完敗したと言う事実。その中に、真の闘いがあったと私は思います。

反対とか賛成とかのレベルでなく、これからの人に何を残して行くのか?

間違いを間違いとして認められない人は、心から謝る事は出来ません。

非人間的にギューギュー詰めにされた人、電車に乗れなかった人、乗れなくなる人の気持ちなど関係ないのですから。利他の精神などみじんも無いと思いませんか?

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