辻川慎一つくば便り

宝の記憶を思い出す。

おはようございます。

息子の死を悲しんで、後悔して、アルコールに依存して来た人生にお別れです。10年目の命日に、息子は息子で精一杯生きた事を胸に刻み直しています。

彼が生き抜く力になれなかった父親であったのは、何より自分自身を生きていなかった事にあると考えています。

人間の未熟さとは、国家を含めて誰かの指示に依存して考えない事にある。人間として考え、生きる事が人間としての真の公共なんだと哲学者のカントさんが言った通りだと思います。


先日、外国人留学生を送迎するために待機していましたら、よちよち歩きのお子さんが私の方を見ながらバイバイをするので、微笑ましくなり、私も手を振りました。


そしたらお母さんに、あっちだよと指を指す。するとお母さんが私の方を見てお辞儀してくれました。

ホンのささいな事だと思いますが、とても胸が暖かくなります。誰しもに、そんな時があったのですから。

誰しもに宝がある。それは子どもの頃。でも大人になるとそれを忘れてしまうのです。と言ったのは詩人のリルケだったと思います。

誰しもに、人としての自分の形成、サナギの様な時代があると言うことかなと思います。

だから、その大事な時代を破壊されてしまうのは、人として破壊される事に等しいので何とも痛ましいのだと思います。


(昔は「護岸」されていない小川がたくさんありました。生き物たちの宝庫。日がな遊んでも飽きなかった思い出があります。)


グリム童話に「怖さを知らない男」のお話しがあるとラジオで聞きましたが、私が子どもの時には怖い事がたくさんありました。

怖くて、トイレに行けなくて「オネショ」をして、母に良く叱られれました。

でも一番怖かったのは、その母がいなくなってしまうことでした。

大人になると忘れてしまうことですね。


私は65才。良い年になりました。


やはり良い年になった大人たちが周りにもたくさんいますが、子どもの頃の表情が見える人とは、色々あっても結局仲良しになれる事に気が付きました。

なあんだ。
結局子どもの時と同じなんだ。
仲良しになりたいんだけど、なかなか簡単にはいかない。
でも仲良しになりたいと言う気持ちが、お互いにあれば通じる。

自分から、一歩踏み出せば。
踏み出さないと通じない。
言葉は、そこから。
心の無い言葉は、結局力なく消えて行くのだと思います。

みな様良い休日をお過ごし下さい。

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