守られてあること。
みな様、今日も暑いですね。
65才の誕生日を前に、左遷させられると言うワイルドな人生でございます。本当は、身の置き場に困るほど辛いはずなのですが一緒に働いて来た同僚の人たちが「辛いと思うけど、絶対に辞めないで。」「あなたのやりたいことがあったのではありませんか?」とか言って下さいます。
運転士仲間の人たちも「辻やん戻って来いよ!待ってるからな。」と言って下さいます。
挫けそうな心を、家族はもちろんですが色んな人たちに支えられて自分がいる事を改めて、強く感じるこの頃でございます。

(今年も我が家の地面から出て来ました!)
私には、かつてあったはずの人脈も含めて何の力もありませんが、人を決して蔑まない、みんな一緒に生きる仲間のはずだ!そんな心がけしかございません。
何の力も無いけれど、私を支えてくれている人が困ったらお返ししたい。そんな思いだけです。
「偉い人」は、時間を取ってやると言う感覚なのかも知れませんが、私はそう言う人に時間を取って頂かなくても結構ですと言う感じです。
大事な人のためには、出来れば自分の時間は惜しみたく無いと思います。

(体に白い線があるのは、エンマコオロギの幼虫なんですね。)
命には限りがありますので、実は時間はとても大切なんですね。
自分の時間を誰のために使うか?は、人間の一番主体的行為の様に思います。
誰かのために使ってやってるなんてのは、自分も相手も侮辱しているんじゃないかな?
それとは別のところから発せられた仲間たちの言葉と時間が、私を支えてくれるのですから。
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