辻川慎一つくば便り

喜びを倍に、悲しみを半分に

「喜びは分かち合うことによって倍になり、悲しみは分かち合うことによって半分になる。」と言う言葉を聞いたことがありませんか?

ドイツから来た格言の様です。

これは、私が若い時分からやって来た労働組合運動の原理でもあった様に思います。

そこがすわっての「共産主義」や「社会主義」であったはずが、その「理想」や「目的」より下にされてしまった。

だから、いつしか魅力を失って来たのだと思います。

分かち合うと言うことは、分け合うと言うことであり、共有すると言うことで主には心の事を指しているとのことです。


(車庫に帰ると、巣からおちたらしい「ホオジロ」が動けずにいました。右足が折れてしまった様でした。踏まれない様に移動はしましたが、私には為す術がありませんでした。)


私の新しい家族は、何でも分かち合います。

私だけ悲しんだり、私だけ大変だと思うことを「あなたは自分のことだけしか考えていない。」と言うのです。

心のことばかりでなく、例えば一緒に外食をすると3人で食べたいものをあれこれ検討して違うものを注文する。

すると違うものを3人で味わえると言うのです。

そうでない場合でも、息子は必ず「お父さん食べる?」と聞いてくれる。自分だけで食べようとはしないのです。

世の中のどれだけの父親が、息子と食べているものを分け合っているのか分かりませんが、彼に取っては当然のことだった様です。

その様に母に育てられたのですが、私には新鮮な驚きがありました。

立派なことを言いながら、実は自分のことしか考えられない人も見て来ましたが、自分だけ食べたり、自分だけ悲しむことも「自分のことしか考えられない人」になってしまうことを教えていただきました。


(「スイカズラ」は、忍冬と書きます。冬の寒さに耐え、5月から6月にかけて花を咲かせます。甘くて素晴らしい香りを届けてくれます。先日紹介した「ハコネウツギ」と同じ仲間ですが、こちらは白い花が黄色に変わって行きます。)


私は、人と話しながら色々と先回りして考える習慣がありました。

先を読む能力や才覚って、資本主義的経営者の能力であり、社会主義や共産主義ってそれを超えるんだとやはり競う。

ところで先が読めるって本当なんだろうか?実は単なる予想や予測に過ぎません。

みんなで夢を描いたり、喜びを分かちあったり、辛いことを分かち合ったりしながら生きて来た。

そうやって進んで来た。読みが当たる当たらないなんて、すぐに色あせる幻想じゃないのか?


(「ヤマボウシ」山法師も満開です。その実が食べられること、知りませんでした。)


「先回り」していると見えなくなってしまうことがあることに気付きました。

今を一緒に生きて、この時間と空間を分け合っている人が見えなるなる。

つまり喜びは倍にならず、悲しみは半分にならない。

先の信号ばかり気にしていると、今の瞬間や場所がどこかに行ってしまうのと似ているかも知れません。

誰も、何も言っていないのに自分はどう思われているかと先を読む。すると目の前の人をちゃんと見れなくなる。

つまり、分かち合う相手がいなくなってしまうんですね。

何だか浦島太郎みたいです。一つ一つ半世紀前から反省し直しております。


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