辻川慎一つくば便り

例え世界が明日終わりでも

みなさま。

昨日のブログで本日が、衆議院議員選挙投票日と出してしまいました。

後輩やブログの読者から「31日ですよ」と早速の指摘がございました。

恥ずかしながら、間違えてしまいました。訂正ありがとうございます。

「入れたい人も政党も無いでしょう?選挙に行くの?」と妻が聞くので、「傲慢な自民党には勝たせたくないね。」と言ったら「そっかー。あまりにも賃金が低いから最低賃金を上げろ!と主張してるところなら入れても良いかな。」と言う。

そしたら社民党が「最低賃金を1500円に!」と言っている。

実際には、大企業の賃上げと中小企業へのフォロー無しには無理がある。そしてグローバル競争があるので、それこそ国際的課題にならないと出口は無い様に思う。

つまり言えば簡単にそうなるとは言えないけど、でも言わなければ始まらない。


(妻の要望に応えて、ミニカウンターを作りました。仲間が来た時のちょい飲み用です。)


どの政党も、これからを担う青年たちが夢を持てる様な政策をみたいに言っています。

確かに、今みたいな賃金や時給で夢や希望を持てなんて言われても、モチベーションなんか上がりようが無い。しかも、使われ方が酷いと感じる。

一人一人が大切だなんて、口先だけの話。期待しているだの何だのと持ち上げで、使うだけ使って終わり。

そう言う現実を見ているから、期待自体をしない。

私が知る青年は「自衛隊の方がマシだ。」と言う。

さて、どの候補者も、どの政党ももっともらしいことを言う。

しかし、国民特に青年たちは「宣伝慣れ」をしていて心を動かさないと言われれます。

散々、綺麗事やもっともらしい理屈を聞いて来た。

しかし、相手の存在や生きて来たことへの敬意のこもった働きかけがどれほどあるのでしょうか?

人を自分の目的のためのプラスやマイナスでしか見れない。

それは、勝つためには当たり前のこと?
ならば言葉は、ますます嘘臭くなり人々の関係も嘘に支配される。

私の労働組合での経験から思うに、何かの利害から人を見るのでなく、人としてちゃんと向き合えるならば人の関係は変わると言うことです。

誠実に自分を生きて来た人は、ちゃんと共鳴してくれる。

昔キリスト教の世界で革命を起こしたマルチン・ルターと言う人が言いました。

「例え世界が明日終わりでも、今日私はリンゴの木を植える。」

全てに終わりがあり、誰もに死が来ます。だけれども、明日のために何かを植え続ける。

それが人間なんですね。

私は、人の信頼と尊敬の木を植えて行けたらなと思うのです。

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