辻川慎一つくば便り

下々のプロの話

72才、69才の同僚と、私66才の話しでございます。

みなさん、自民党とその政府の酷さに怒っております。

「しかし、自民党に代わる政党が無いんだよね。批判しかしない。」とは、ドライバーをやりながら美味しい有機野菜を作り、花を愛する人でございます。

「孫が中央大学の大学院を出てそのまま官僚になったんだけど、現場で働いた事も無いのに何が分かるの?って思うよ。そう言う連中が国の政策を決めてるんだよ。下々の事なんか分かるはずが無い。」とは、長年トラックドライバーとして様々な苦労をして来た人でございます。

今年の夏には、「青ナンパー(営業車)」に切り替わるため、大型二種免許が無いので今の仕事ができなくなる同僚でございます。

つまり、残念な事に期限付き同僚と言う事になります。

しかし、話しを聞く度に長く働いて来た労働者の話は、本質を突いていると思います。

一応、肩書や権威に形式的に従う振りはしますが、心の中では「何言ってるんだよ。」とそっぽを向いているのですね。

そう言う労働者の意識、つまり大多数の人の意識と言うのは生きた経験と歴史があって作られている。なので、甘く無いのだと思います。


(石岡市にある「風土記の丘」公園の獅子頭です。)


どの政党も批判しかしないと言う批判は、一体何に向いているのでしょうか?

あるいは大学を出ただけで、一体何が分かるの?分かるはずがないと言う批判は?

共通するのは、現場で日々大変な思いをしながら生活するために働いている労働者の実態や気持ちなんか分かるはずがないし、そこに立った政治家も官僚もいないと言う事になる様に思います。

政治家も官僚も、あるいは経営者もみんな上からで、働いてこの社会の土台を作り、新しい価値を生み出している労働者とその家族を本当には尊重していない。人として対等では無い。

そう言う根本的な批判、あるいは気持ちが共通してある様に感じます。


(菜の花畑の働き蜂です。)


働く人々の意識が、根本から変わっている様に思います。政党や政治家を含めて権威や幻想が無くなっている様に思います。

ところで次の問題は、それを変えて行くのは自分自身しかない事じゃないのかなと思う訳です。

自身からは行動せずに、嘆いて終わり。

何かあると「辻川さんお願いします。」となるのは、何だか昔から変わらない訳です。

つまり、仕事では日々責任を取らされているのに、自分自身が生きている社会や会社では責任を取らない。そして、やはり人の悪口を言って済ましてしまう様に思います。

「狭い道を譲れないヤツがいて、バスをぶつけてしまったんだ。」と言う同僚に「相手は素人ですからね~。」と私。

暗に「私たちはプロです。それは言い訳になりませんよね。」と言う意味を込めました。

同僚は、ポジに受け止めてくれた様に思いました。

現実を生きて、苦労しなが経験を重ねて来た労働者は、みなさんプロなんだと思います。その話を大事にして、世の中で位置づけ直す事が大切な様に思います。

労働者は、プロレタリアートとも言いますね。プロ中のプロな訳です。

そのプロレタリアートをマルクスさんが,労働者階級は唯一の価値の創造者であり,歴史変革の主体であると規定した事を思い出します。



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