クリスマスイブ
いつもの様に3時に起きて、ラジオをつけましたらクリスマスソング特集でした。それで今日がクリスマスイブである事を思い出しました。
昨日は、小学校の送迎バスでした。「うちにはサンタさん来ないんだ。」って話していた子供の事も思い出しました。
いつもの古いマイクロバスが修理に出されて、新しい年式のバスを運転して行くと「こっちの方が良いな〜」ってみんなで喜んでおりました。
ちょっとしたプレゼントだったかも知れません。
その小学校は、クリスマスイブの今日が今年最後の登校なんですが、インフルエンザで学級閉鎖や学年閉鎖が増えたために昨日が最後と言う子供さんもおりました。
「わー。ラッキー!私は今日で終わりだよ。良いお年を!」なんて元気良く言うのを聞いて笑ってしまいました。
添乗員さんがおりますので、あまり話しかけられる事は無いのですが、解放感があったのか私にも声をかけて来ました。
「運転士さん、運転士さんは明るい人が多いね。どうしてなの?」と聞いて来ました。「そうだな〜。暗い顔した運転士さんじゃ嫌じゃん?」と笑顔で返すと「うん、そうだね。」と言う。
子供たちのやり取りを聞いていると面白いので笑ってしまうので「ダメだ、ダメだ。運転に専念しなければ。」と自分に言い聞かせなければなりません。

子供たちを無事に送り届けて、回送の車内で年配の添乗員さんと少しお話しをしました。
「子供たちうるさいでしょう?」と言うので「子供たちは元気な方が良いですよ。元気が無い方が心配になります。子供たちがいないと、この国は終わってしまいますから。」と返しました。
「そうなんですよ。結婚をしないで一人暮らしをしている人が、私の周りにもたくさんいます。子供どころか、結婚する事自体がめんどくさい様ですね。どうなっちゃうんでしょう?」そんな話しをしてくれました。
少子化で、学校が統廃合になったために遠距離通学が増えてスクールバスが導入されているのですが、統合された学校の子供たちも少ないと感じます。
結局、高齢者ばかりの街に急激になっている実態をリアルに感じます。
子供たちがいなければ、社会が終わって行くのに子供を迷惑がり、子供をみんなで守り、育てる負担は放置されている。
103万の壁がどうので、子供たちがいないと言う深刻な問題が解決するのでしょうか?目先の損得を追っていたら間に合わないのでは?と思ったりします。

子供たちが喜ぶ新型のマイクロバスなんですが、やたら余計な機能やスイッチがあってかなり戸惑いました。
オートマなので楽かと言うと、勝手にシフトアップやダウンをするのでどうにも違和感があります。
シンプルなマニアル車の方が、操作性が良いので乗客にも余計なGをかけない運転ができます。
慣れないドライバーには楽なのかも知れませんが、違和感だらけで不快なんですね。
ベテラン運転士さんたちに聞いても、同じ事を言います。私も違いが分かるくらい運転技術が上達して来たのかも知れません。
便利や楽ばかり追っているうちに、子育ても、家族を作る事自体もめんどくさくなっているのかも知れません。
それが、本当に気持ち良く幸せな事なのでしょうか?
苦労して、めんどくさい事を経てかなりアナログにやって来て、ようやく自分が納得できる運転ができる様になって来た私。
めんどくさいを投げ出していたら、そう言う感覚が分からなかった様に思います。
自分自身だってめんどくさいのですから、他の人がめんどくさくない訳がごさいません。
デジタルになんか解決できないのが、命であり、人の存在の様に思います。
めんどくさがっていたら何も見えない、何もつかめない。つまり、生きている感覚を投げ出してしまう。つまり、幸せを感じられる事も投げ出している。
そんな事を考えます。
ケンカをしても、仲違いをしても、この日くらいは思い直そうよ。
そんな日なんでしょうか?
メリークリスマス。
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