昨日は、バス運転士になって初めての「見習い」が付きました。
子育てが一段落して、バス運転士を目指して頑張って来た女性運転士です。
いつもは目一杯走る退勤のバスなのに、2便目の乗客が珍しくいなかったので工場の休憩所で30分ばかりお茶を飲みながらお話しを聞きました。
まだ4ヶ月なのに、良く頑張っていて大型バスの運転もしています。
私自身腕が良くありませんので、運転技術の方は気にせず、とにかく焦らず、急がす、安全にを私自身の運転を見てもらい、実際に運転してもらいながら伝えさせて頂きました。
技術は、自分で向上する気持ちさえあれば時間と経験が解決してくれますが、乗せている人の事を考えて快適に、とにかく安全にと言う心構えが一番大切だと思うからです。
そうしましたら、何が辛いかと言うと運転とは関係ない事で色んな悪口や批難を受けた事だと話してくれました。
せっかくバス運転士になろうと懸命に頑張っているのですが、良くは思われない。悪く言われて来た事が一番辛くて、激やせしてしまったと言います。
(出庫前の空の雲が何だか凄かったです。)
うーん。労働者不足、運転士不足の中でせっかく目指してくれたバス運転士。
甘くない仕事であるからこそ、励まし、的確な教育とサポートが必要であり、なおかつみんなで支え合う様な職場環境が必要だと思うのですが、現実には古くからの業界体質が残っているのですね。
昔の常識を、これからの人に当てはめて批難する。排除する。
しかもかなり陰湿に。
運転だけでなく、業界の常識も知らないのは当たり前の事なのに「分かってない!」と言う訳です。
私の方も、実はそんな事が無いか?と心配していた訳ですが、案の定かと思った次第です。
比較的に古くからある企業や組織に有りがちな事ですね。しかし、共通しているのはこれからの人に魅力が無ければ見放されるだけだと分かっていない事の様に思います。
作れば売れる時代はとっくに終わり、昔の名声や権威なんかより、価値があると思われるものを選んで行く時代に入っているのですから。
その方と仕事をしていますと、その人なりに乗客や職場の人たちを思いやる感性がある事を感じました。
ある意味では、今までに無かったタイプかも知れません。たぶん、だから攻撃される。古い感覚やしばりに安住したい人たちの存在を脅かしてしまうのかも知れません。
「事故があって、その人たちが責任を取ってくれる訳ではありませんよね。運転は自分でやるしかないのですから、自分で責任を取るしかない。なので安全運転に専念して下さい。これからバス運転士を目指して来てくれる人を育てる立場になって行くのですから、嫌な思いもその時に活かせると思います。古い業界体質を変えないと会社も残れないのですからね。」
とそんな話を致しました。
どれほど伝わったから分かりませんが、少しでも気が楽になり安全運転に専念できたらなと思います。
最後の最後にちょっと無理な運転をされたので「私なら急いでリスクを冒さず、安全なう回路を選びます。」とアドバイスさせて頂きました。
レーサーの様にアクロバットな運転ができるのが上手い運転ではなく、どんな場合でも安全安心の運転に徹する事ができるのがプロの運転士なのですから。加えてあいさつと笑顔があれば最高だと思います。
その意味では、ずーっと自分自身との闘いだと思っています。
こちらはせっかく(石槨)でございます。
古墳などで、棺を納める石造りの室なんですね。土浦市の上高津にございました。
せっかくなので…。