辻川慎一つくば便り

「自己責任の時代」と「STORY」

毎日色んな事があります。

夜乗務の点呼が終わり、ドライブレコーダーの結果に捺印し乗車人員を記入しておりましたら、点呼の人に「辻川さんは、きっちりした字を書きますよね。いつも感心します。」なんて言われました。

書類に字を書く度に「下手くそだな〜」と感じ、自分で納得できる字なんて一生書けないのかなと嘆いている毎日です。

なので「まさか〜。他の人と間違えてないですか?」といつもなら「ありがとうございます。」と返すのですが、否定してしまいました。

それから帰宅して、お風呂に入りながらちょっと振り返って見ました。そういえば「字が上手い」とか「綺麗」だとかは言って無かった。「きっちりした字」と言ってたんだよな〜。

そうすると、私の方がやはりちゃんと相手の話を受け止めていなかったんだ。そんな事に気付いて、申し訳無かったと考え直した次第です。

バスの運転も、清掃も、書く字も、それから人とのコミュニケーションも、何だか嫌になってしまうくらいまだまだな〜って思います。

下手くそで雑なのですから、なるべく落ち着いて運転しないと、字も正確に書かないとと自分に言い聞かせながらですので、その方の感想への返しはやはり「よく見て頂いてありがとうございます。」だったなと反省した次第です。


(昨日も日本人の乗客から「喜捨」を頂きました。)


私は、自分の思いを情熱にして労働組合のリーダーを長くやって来たためか、どうも自分の思いが勝ちすぎて人の思いが分からないところがあります。

熱いリーダーだからこそ、みんなが付いてこれた時代もありました。また、そう言うリーダーに付いて一緒に行動する事に喜びがあり、勝ち取れる事もありました。それで、不可能に見えた事が可能にもなった時代だったのかも知れません。

私の方は、熱い思いを引いたら雑さだけが残ってしまいました。良い年になって、恥ずかしながら雑さしかない私自身との嫌になるくらいの格闘の日々なのでごさいます。


(今朝の車庫からの夜明け前です。)

国鉄分割民営化の「成功」とそれに対して長く続いた解雇撤回闘争がありました。

それがどんな社会的意味があったかと言うと「解雇するのは大変」と言う事を思い知らせたのです。

それを総括した2003年の小泉改革で、労働者派遣法を全面的に拡大して、非正規雇用化を進めた訳です。企業は雇用や生活に責任のある正社員と言う面倒な存在から解放されて、切り捨て自由で労働者を働かせる事ができる様になりました。

それから企業も政府も「選んだのは自己責任」だと言い出したのです。

まあ、胴元がルールを変えて「自己責任」だと言うのですからイカサマみたいなんですが、そのルールの直撃を受けたのは若者たち。

秋葉原事件や荒川沖駅事件など非正規雇用や派遣労働者の青年による悲惨な殺人事件が起きました。

命を奪われた人も、奪った若者にも何とも言えない思いがあります。

どうして、そんな状況に追い込まれたのかを分からないまま突然殺され、他方は死刑になった。殺害には殺害で応じる。それで命の大切さなんて、伝えられない様に思います。

一体何が解決したのでしょうか。


話は変わります。バスの乗降口の扉は、「自動扉」ではありません。勝手に開いたら危ないのですから、運転士が操作します。そして、非常の際はこの蓋を空けてエアーロックを解除する様になっております。


私が、特別支援学校のスクールバスを運転している時に、何とその子どもたちにまでずいぶんと助けられました。

例えば車椅子をしっかり固定された少女に、とても気が付く子がいて「運転士さん、蓋が空いていますよ。」なんて教えてもらったりしました。私の閉め忘れでした。

例え身体が不自由で、身動きができなくても、人の役に立ちたいと色々と助けてくれました。本当は悲しい事や辛い事がたくさんあるでしょうに、でもいつも笑顔の女の子でしたが、今は社会人。無事に元気でおられるかと、バス扉の蓋を見る度に思い出します。

その子が好きだった歌がありました。

https://youtu.be/nMROhyihehU?si=nSpiN1kSpHMUPmTq

AIさんと言うシンガーの「ストーリー」。

「辻川さんは、カラオケで何を歌ったの?」と介助人さんに聞いて「ストーリーを歌ったよ。」と聞いて「私も歌うんだよ」ってとても喜んでくれた事もありました。

この歌は2005年の発表以来、ずっと支持され続けて来たのですね。

自分の思いや情感を歌う昭和の歌と違い、この頃から若者たちの心を支える様な歌が歌われる様になった感じがするのは私だけなんでしょうか?

政府も、会社も、社会保障も、年金も「成功者」と強い人以外には頼みにならない時代が「自己責任」の時代なんですね。

これまでの社会構造は終わった。だから甘えるな、と言う事かと思います。

これまでの構造を批判しながら、しっかり甘えて成り立って来た時代と、今の若者たちが向き合っている時代の厳しさが違うのだと思います。

その中を生きなければならない。
その厳しい時代だからこそ、人への思いやりや優しさが負けずにある事が生きる支えになっているのかなと感じます。

雑な私が、無反応に負けず声をかけ続けている理由かも知れません。人の支えこそ、弱者が生きる術である事は、人の字そのものが表していますね。

古来一人では、人の字にもならなかった事は今でも変わらないのだと思います。

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