辻川慎一つくば便り

どの時代にも人には違う大変さがある。

今日はせっかくの休みですので、ひたちなか市の実家からの帰路笠間の日動美術館に寄って来ました。美術館のお話しは明日にいたします。


昨晩は、母が作ってくれた優しい味がする手料理を頂きながら両親の話しを聞いておりました。


昔も今も父のために苦労している母は、それを私に愚痴るだけでなく父の話しを聞かずに取ってしまったりします。

なので、間を取り持つだけでなく、父が一層退化しない様にと話しかける様にします。

父も母も母親を早く亡くして苦労したのは似ております。

母の話しはたくさん聞いて来ましたので、父のお母さんの話しを聞いて見ました。

そうしたら「上の兄たちが近くにいなかったので、親父と俺で母を焼いたんだ。小学校5年の時だった。焼く場所があって親父が担いで行って横にして、薪と炭を重ねて焼いたんだ。」と今では衝撃的な話しをしたのです。

「え~っ。自分のお母さんの遺体を二人で焼いたの!」とさすがに驚きました。「焼くの大変だったでしょう?」と言うと「残った肉を落としながら骨を拾ったんだ。」と言う。

小学生で、自分の母親を父親と一緒に焼いて骨を拾ったなんで、どんなに辛い事だったかと思います。「どんなお母さんだった?」と聞いたら「おとなしい、静かな人だったな。」と言いました。「それからは口減らしで、親戚の家の農作業の手伝いに出されたな。兄たちが働いていた鉱山の中学校に行ってから、飯がちゃんと食べられるようになった。それから中学を出てそのまま鉱山で働く事になった。」

そんな話しでございました。母も親戚に預けられて、辛い思いをした事が共通しているのです。

父に愛憎が交差して複雑な母ではありますが、父が食事を終えていなくなると「お父さんも苦労したんだよね。戦争が悪かった。みんな苦労した時代に生まれて育ったんだよね。」と母が話すのを聞いておりました。


翌朝、朝食を頂きながら笠間の「西念寺」に行った話しを母にしました。


「江戸時代に天明の大飢饉と言うのがあって、笠間藩の領民も苦しんで亡くなったりいなくなったりしてしまった。その時良水と言う西念寺のお坊さんが、信仰を同じくする富山の農民たちに助けを求めて笠間藩に来てもらった。最初は感謝されたんだけど、落ち着くと悪い事をして逃げて来た人たちに違いないと迫害され、差別される様になってしまった。おまけに、加賀藩の領主から追われる事になってしまった。良水と言うお坊さんは、自分の責任だと危害が及ばない様に自決した。と言う話しが西念寺にあったよ。とても理不尽な話しだった。母さんたちの時代だけが酷い訳では無いんじゃないかな?」そんな話しをしました。
「富山の人なら関係あるね。いつの時代も、貧乏人は苦労するのさ。」と言うので「武士は武士で大変だったと思うよ。人の世の理不尽さは変わらないんじゃないかな。」と話しました。

そう、私の時代にも国鉄分割民営化での理不尽があり、組織の理不尽さも経験して来ました。

その時代時代の大変さや理不尽さはあるのだと思います。人の存在そのものが、理屈通りでないのですから理不尽な訳です。



大変な事は、どの時代にもあるし起こる。その度に人が試される。心が問われて来たのだと思います。


「山で遭難しないためには沢を降りるのではなく、尾根に上がるんだよ。高いところから見ないと自分の位置は分からないんだ。」と山歩きが好きだったと言うシルバー人材の添乗員さんに聞いた事がありました。

周りの人と比べていても自分がいる位置は分からない。ドロドロの関係にはまって訳が分からなくなる。

「人への嫌な思い出なんか持ち続けても、何の特にもならないよね。高いところから見れば、みんな学びになると俺は思うんだ。」そんな話しを致しましたら、母も「そうだね。」と言ってくれました。

そして別れ際には「父さんも御赤飯美味しいと言ってるよ。本当上手だね。また作って来てちょうだいね。」と言ってくれました。

料理も人も、素材と愛情。人への思いがあってこそなんだな〜と改めて思います。

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