辻川慎一つくば便り

異邦人

朝の出庫前、屋外のトイレ待ちをしながら新緑と空の青、そして雲が素晴らしく気持ちが良いので両手を広げながら見ておりました。トイレから出てきた元競輪選手だった同僚が「何やってんの?UFO呼んでるの?」と言うので「深呼吸してたのですが、UFOが来てくれるのも良いですね〜。」なんて話しました。

5月の新緑の風景に、フジコ・ヘミングさんの「雨だれ」が合いますとブログに載せましたら、ずっと聴いてくれている読者の人もおります。

私が車でフジコ・ヘミングを流していると変えてしまう人がおりましたが、今は気にせずにゆっくりと聴けます。

「音楽性の違いで解散」みたいな感じです、と新人の若者が言った言葉が思い浮かびます。


(実家に行った帰りに、20年ぶりくらいに北浦に架かる「鹿行大橋」を見に寄って見ました。東日本大震災の時に、真ん中が消え落ちた記憶があります。)


嵐の様な時代を、仲間たちと一緒に駆け抜けて走り続け、かけがえの無い息子を亡くし、政治運動から離れて離婚。再出発のはずの再婚がまた破綻。
どうしたものやらと言う感じですが、諸行無常をそのまんま生きている感じかも知れません。

でも、それまでの「縛り」から解放されると不思議に、それを待っていたかの様に「会いたい」と言って下さる人が出てくるのです。

「あなたは何のためにブログを世界発信しているの?」なんて言われて来たのですが、別に世界発信が目的な訳ではありません。どうしようも無い様な私のブログを待っていてくれる人がいるから。それだけです。

ブログが上がらないと「どうしましたか?」「何かありましたか?」と心配しながら、心待ちにしてくれている人がいるから上げ続けて来ました。


(橋のたもとに「北浦荘」と言う温泉施設があります。以前は宿泊ができて、ここで今の会社の労働組合の中心の人たちと勉強会をやりました。もう大半の人がこの世を去りました。だからこそ、私には忘れられない思い出の場所になります。)


慌ただしく走り抜けずに、その時々の人との出会いをもっとしっかりと過ごせば良かったと後悔します。また会える。時間はいくらでもある。そんな風に思えた時代でもありました。しかし、二度とは無い貴重な時間だったのだと後から分かるのです。

それは今も同じです。今日と言う日は二度と来ない。今日会えたから、また会えるなんて保証なんて何もありません。

だから、会うとか会えると言う事を当たり前の時間にしてはならない。そんな風に思っています。心のこもったメッセージや手紙もたくさん頂いて来ましたが、例えば子供さんたちとの時間も二度と返らない時間でした。

だから、駆け足でなくじっくりと心を感じながら、自分の記憶に重ねて行く。それが自分を確かな自分たらしめているんだ。良く見たり、感じたりしていないと不安定な自分になってしまう様に思います。

確かな時間と言うのは、人やものとの自分の関わり方の中にあるものなのだと思う様になりました。


時々ながら欠かさず手紙を下さる人がおります。労働組合の情報等と一緒に必ず手書きのメッセージがあります。手書きと言うのは手間がかかります。その手間をかける時間の中に、相手への思いがあるのだと思います。今回は、短いメッセージでしたが気持ちが伝わりました。


誰しもに事情があり、忙しかったりします。だからこそ、会える時間が会う場所と共に大切な思い出と記憶になるのだと思います。手間をかける事が、確かな自分を作って行く。

安易な効率化が、人の存在を希薄化させて行く事に対する私と仲間たちとのレジスタンスの長い闘いの帰結でもある様に思います。

これから夕方から夜にかけての乗務です。急ぐために奪われる時間と心が錯綜するラッシュアワーの中で、奪われない心、揺るがない人としてのプロ精神を自分の中に作り上げていく大切な時間です。頑張ります。

https://youtu.be/5raK_iAFrn8?si=FsVkVo6oUwKx4FeP

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