辻川慎一つくば便り

欲望と欲求の違い

みなさまお疲れ様です。

午前の乗務、まだまだ課題を感じながらも無事に終えて一息ついております。

せっかく同僚になったのに今日で辞めてしまう40代の労働者。あるいは来週いっぱいで辞めるベテランの労働者。

せっかく知り合いになっても、離れて行く。

残念に思いながらも、お互いの欲求がすれ違うので通過点に過ぎない関係なのかな?と寂しく感じてしまいます。感じるだけで、どうしようも無いことなんでしょうか?

走るとヒザに痛みがあるので、今日は歩いてきました。とにかく、乗務中は同じ姿勢のまま足でクラッチ、アクセル、ブレーキを操作するばかり。仕事が終わると血流が悪くなり、足がむくんでしまいます。

なのでなるべく自分から動かす様に努めています。


(「大根の花」食べたことはあっても、花は見たことが無いかも知れません。)


歩きながら、木や花を見ながら考えます。

心理学者のマズローと言う人が、人間のもっとも低いレベルの欲求は、生命を維持するために必要な食欲や睡眠、排せつなどの欲(=生理的欲求)で、もっとも高いレベルの欲求が、自己実現(=自己実現の欲求)だと5段階に分けたと言います。


基本的な欲求の上に、ある集団や家族に所属し、その中で“愛情が感じられるつながりを持ちたい”という社会的欲求(=所属と愛の欲求)や自分のまわりにいる他者から認められたい、評価されたい、注目されたい”という尊厳欲求(=承認欲求)もあると言います。

人間が生きると言うこと。基本的欲求があって人間の歴史が作られると言う考え方を、私はマルクスから学びましたが、人間の欲求の実現が自己実現に向けて高まって行くと言う考え方と言うか、分析が面白いと思います。

「愛情を感じるつながり」の土台は、友情であったり家族が土台でしょうか。

「評価されたい」とかの社会的尊厳の欲求も大切な欲求だと思います。

私の場合、見かけ上全てを実現して来たかの様に見られていたのですが、根本の土台から違っていたと思います。

食欲、睡眠、排泄。人間の生理が土台にあって、さらに命の安全、愛のある関係、自分の尊厳、そして自己実現へ。

土台からインチキだと、全てインチキになる。つまり虚構になると言うことを、マズローの図は示してはいないでしょうか?

極度な高齢化社会の到来は、正に食事、睡眠、排泄の問題を再び大変な問題にしています。

介護施設の問題・課題とは人間の土台の問題との格闘の日々に外ならない様に思えます。

そこを蔑ろにして、他の欲求の実現など虚構になる。それが、人間のリアリズムだし、そこを避けた理想も自己実現も「クソ」になる。


(梨の花から実へ。実が育っております。)


自己実現や尊厳、そして愛ある関係が土台から上滑りしていないでしょうか?

欲望と欲求との違いは、ただ望むのではなく自分から求めて行くことにあると言います。

待っているのではなく、自分から求めて行くこと。

誰かがやっくれるのを待つのではなく、実現するのはやはり私たち自身なんですね。

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