辻川慎一つくば便り

久しぶりのベトナムな日

みなさま。

午後は雨予報でしたので、仕事の妻を送ってから草むしり、掃除、洗濯、お昼の準備とあっという間に午前中が終わりました。

昨晩は、お互いに仕事上がりで疲れてはおりましたが、来週の食材等の調達のためにコストコへ買い物に。

お腹が空いたので途中、ベトナム料理のお店に寄りました。


たぶんあちらの食堂の雰囲気かと思われるつくば市の「ドクター・フォー」。映画007の「ドクター・ノー」にかけたのかな?古くてすみません。



牛肉フォー。650円。もちろんパクチー

が効いていますが、家庭料理そのものでスープが美味しい。フォー自体は、タイの方が腰があって好きです。


妻が頼んだプレート。お肉と野菜をライスと共に頂く。美味しいのですが、やはりライスが今ひとつ。お米の違いでしょうか?


値段的にも、家族的雰囲気も良くてリズーナブルなので良い感じのお店でした。

ベトナムの若者たちも来てにぎやかでした。

家に帰りいっぱいやりながら、JRの後輩が進めてくれた「ガイアの夜明け」でのJR東日本をさらっと見てから、たまたまやっていた番組がベトナムの歌手のドキュメンタリーでした。

マイ・コイと言うベトナムでは国民的歌手でありながら、国家から弾圧の対象にされている人のお話しです。



ベトナムと言う国は、かつてはフランスの植民地にされ、さらに日本、アメリカに占領された歴史があり外国の支配とそれこそ信じられない様な闘いを通して独立を勝ち取った国です。


ベトナム共産党のホー・チ・ミンと言うリーダーを先頭に、農民も労働者も学生も、老若男女が闘い自由を勝ち取ったはずでした。

私が、戦争に反対して革命運動を目指す原点の一つがベトナム革命でした。


しかし、その歴史は何処へやら。結局、共産党や国家の官僚が利権を独占し、それを守るために国民の根本的自由を奪い、統制する。

反逆する者には、徹底した暴力的弾圧を加える。過去の功績や栄光が、支配の正当化の道具になる。

人間の歴史とは、資本主義だろうと社会主義だろうと人を支配し、囲い込み、独占的支配を貫こうとするものなのでしょうか?

https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2020/09/3-217.php

人間の自由と平等、そして平和を求める若者たち。

古くて新しい、どの時代にも変わらぬ姿があると感じました。

そして、魂の自由と現実の自由・平等を求め、それを音楽やアートで表現し共鳴して来たのです。

魂と魂の触れ合い。
心と心の共鳴。
いつの時代にも、若者たちは現状に疑問を持ち変えよう!と闘って来たと思う。

私も、私の仲間もそうでした。

仲間が大切だと言うのは、利権と理念を維持するためのつながりからはでてこない。

あらゆる囲い込みの支配から自由に、人としての自分を、瞬きくらいの人生において貫くために仲間が必要なんだと思います。

仲間と言うのは、自分が自分であるために相互に特別のものだと思うのです。

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