辻川慎一つくば便り

自分の正しいを疑う

会社従業員で外国人実習生をほぼ専門に送迎するバスの担当をメインにしています。

外国人たちが分かりやすい様に、路線バスの停留所をお借りしているので(正式には許可が必要になりますが、路線バスでは無いので難しい様です。)路線バスが来るととても気を使います。

昨晩も路線バスとかち合う場面があり、なるべく邪魔にならない様に急ぐのですが私が発車しようとすると後ろから来た路線バスが横付けして停車。
私は発車できなくなってしまいました。以前にも「邪魔だ!」とクラクションを鳴らされた経験があります。

いくらなんでも「進路妨害」までするとは酷い!と乗務後に上司に相談しました。「時刻変更も考えますか。」と言ってくれたのですが、帰宅してから相手のメッセージが果たして「邪魔だ!停留所に停めるな!」であったのかもう一度考え直して見ました。



場所は3車線の道路で、先の停留所が近く、その先は左折専用なので先の停留所は使わない私は早めに真ん中のラインに進路変更をしていました。

ネットで路線バスの3車線道路の走り方を調べて見ましたら、右折の場合でも一番左側から進路変更するとありました。

かなり無理がある訳ですが、それがセオリーである様でした。

もしかすると「停留所に停めるな!」ではなく「セオリーと違う!」と言うメッセージだったのかも知れない。と考え直しました。

何せ会話できれば簡単な事なのですが、違う会社ですしラッシュアワーの時間帯にバスを停めて話し合う事も無理な状況です。

そこで相手のメッセージを読み取らなければならないのですから難しい。なので状況を振り返りながら考え直した訳です。

言葉を交わしながらだって、相手のメッセージや主張を理解するのは難しいですよね。

選挙投票日が近くなり、他の候補者や政党への批判を声高に言って、自分の正しさを主張する「正義」にちょっとうんざりしてもいます。

相手への敬意や尊重が欠けた「正義」って危うくない?

そう感じるからです。
何よりそれは、私自身の反省でもありますから。

路上でも自分の正しさと自分の都合がぶつかり合うのを見る毎日です。

自分の正しさを疑わなければ、ぶつかる。結果衝突する。

それが政治や外交ならば、戦争になる。あまり違わないと思います。


ドリトル先生は、動物たちの言葉が分かる。


なので余計な荷物を持つ必要がない。

いつも旅に出かける時はカバン一つなんですね。

言葉が分かるので動物たちが助けてくれるから、荷物は必要ないと言う訳です。

さて、言葉が分かる。相手を理解できれば人生に余計な荷物は必要ないって、とても大切なメッセージである様に思います。

私たちは、言葉を話し日常的に会話する訳ですが、本当に相手の事を理解しようとしているのでしょうか?

話しながら、自分の都合だけだと言葉が分かるって事にはならない。

言葉が分かるって事は、相手とコミュニケーションができて初めて言える事ですよね。

本当にコミュニケーションができていれば、人生に余計な荷物は要らなくなる。地位や名誉やお金でコテコテにしても得られないものがある様に思います。

単にアナログかデジタルか?と言う事でも無い。

相手のメッセージをちゃんと受け止められる事って、言葉を話せると思っている人の方が難しいかも知れません。

同業他社の運転士さんのメッセージの意味を考えるだけで、大変な訳ですから。

私の妻は、動物だけでなく植物や虫にまで話しかけます。

まるでドリトル先生みたいだなと、思う時があります。



妻が野原で摘んで来たコスモスが見事です。

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