辻川慎一つくば便り

気分転換(Change of pace)

みなさま、土曜日の昨日は疲れを癒やしに妻と一緒にスーパー銭湯に行き、ジャグジー&塩サウナでほぐしました。

天気が良いし、ハーブが見たいと言うのでさらに土浦市郊外の上坂田にポツンとある「ガーデンゲート」に行きました。


店そのものが、なかなかのガーデン。

店は洋風ながら、道を挟んだお宅は「和」のステキな建物。

日常と違う空気感にひたり気分転換。
筑波連山の宝篋山が近くに見えて来ましたので、足を伸ばしてみることにしました。


山全体が新緑に包まれて、別世界の様です。


あちらこちらに山藤が咲いていて、山を彩っているのも見事でした。


動労水戸の国分副委員長から名前を教えて頂いた「オドリコソウ」も満開で出迎えてくれました!


かつては宝篋山の麓に「極楽寺」と言うお寺があり、「京」の考え方を広めた様です。


このお寺の存在があって、南北朝時代に小田城城主である小田家が南朝を指揮していた北畠親房を迎え入れて闘い敗れた。

北畠親房は、南朝の正当性を知らしめるための「神皇正統記」を書きながら小田城から、大宝城に逃げ城主の下妻氏が滅ぼされる。さらに旧関城町の関城に逃げて、そこで書物を完成させるのですがやはり落とされてしまう。つまり、筑波山の周りで「天下分け目」の合戦が展開された訳です。


小田氏治と言う武将は、何度も小田城を奪われては奪還した。連戦連敗の武将として有名にされているみたいですが、家臣団の結束が強く領民からも支持されていたとのこと。でなければ簡単に滅ぼされていたでしょう。


一族としては、しぶとく生き延びた様です。

宝篋山の頂上に仮設の城を構え、山頂から小田城を攻め落とした高師冬の大胆さと凄さも感じます。逆に関城ではトンネル攻めにしました。それだけ圧倒的に勝ち続けた武将の高師冬も、最後は暗殺されてしまいます。小田氏と高氏、本当の勝利者は一体どちらだったのでしょう?

極楽寺も小田城も遺跡と遺構になっていますが、今なお美しい景色が維持されている姿を見ながらその時代に生き、闘った人たちを今に重ねながら偲ぶことも気分転換になります。

英語だと、歩く速度を変えることが気分転換とのこと。走るのも、ゆっくり歩くのも時間と人生を豊かにする様に感じました。

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