辻川慎一つくば便り

ガラケー労働組合

今日は、昼休みに現在いる会社の労働組合の「昼食会」がありました。

諸事情て何年か組合大会が出来なかったところに、コロナで4年分ほどの会計決算の報告と承認。「コロナ見舞い金」の配布。組合への意見等が求められました。


(コロナ禍なので外食ではなく、結構豪華な仕出し弁当を頂きました。デザートは、牛久市にある「天使のおやつ」のフルーツゼリー。「渋滞ができる店」だとのこと。製造は北海道とありました。)


何を隠そう昔むかしの1991年に、動労水戸と一体の労働組合を作るべく結成から維持まで私が加わってできた労働組合でした。

最盛期には大半の現場労働者が組合員でしたが、現在では四分の一の規模になってしまいました。しかし、ローカルな筑西支部では、ほぼ100パーセントの加入率。

「ガラパゴス」と言うのが絶滅危惧種のあつまりみたいに思われている節がありますが、本当は独自の生態系で生き残って来たと言う意味です。

そう言う意味では「ガラケー」の労働組合かも知れません。しかし、この集まりと労働組合は大事だと感じるのです。


(茨城でも水戸とはずいぶん違う気質を感じる筑西。「県西」とも呼ばれますが、水戸からすれば温和な感じがします。)


一緒に組合を作った時は、みなさん私より10才から20才上。みなさん年上なのに、30才そこそこの私が責任を取る立場に立ちました。みなさんの話が終わらないことに呆れながら、話をとことん聞いて団体交渉にのぞみました。

ところが会社経営者の話がそれ以上に長い。

交渉が午前零時に及ぶこともしばしば。終わってからさらに反省会。みなさんは、それから早朝の乗務をされていたのでやはり若かったのかと思います。

私の方は、それから帰宅なので1時、2時。

大変だったのですが、国鉄・JRだけでなく民間中小企業の労働組合を一緒に作り、維持する経験は得がたいものとしてありました。

縁があったのだと思います。
その時代に一緒に労働組合を作った中心の人たちの大半が、この世を去ってしまいました。


(最盛期を過ぎた「ハナミズキ」ですが、まだ懸命に咲いております。)


当時を知り、組合に残る先輩に改めて聞きました。

「みなさん、組合に入って頑張ってましたよね。」

「そうだね。共通するのは、バカにされたくない!と言う気持ちが強いことかな。」

バカにすると言うことは「相手を軽く見てあなどる。」と言うことですね。

人として軽く見てあなどる。


会社が、終身雇用制度や年功給制度で労働者を惹きつけ、会社と労働者が家族の様な運命共同体の様に演出していた時には隠されていたこと。

一歩外に出ると、潰しの効かない人間を大量に作ったこと。人間の価値を決めるのが所属する企業・組織とその中のランキングであること。そこから、それ以外の人間を見下し、バカにすること。

バカにすることの連鎖は、一番下位とされる現場労働者相互にバカにし合うことになった。

現場から人間の連帯を作ると言うことは、決して上からでは無いと思う。「上から」と言う時点ですでにバカにしているのです。

つまり、本当に相手を人として尊重しているのかが常に自分に問われると思う。

人間存在に上も下も無い。

自分自身が納得するために、自分自身を全うするために色んな人との縁を活かすのもマイナスにするのも自分次第だと思うのです。

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