辻川慎一つくば便り

三つ子の魂。

昨日は、ひたちなか市の実家に泊めて頂き両親の話しをゆっくりと聞きました。

「お前を置いて5メートルくらい先に行って、おんぶする格好をしても決して来なかったんだよ。他の子なら、喜んで駆け寄っておんぶするのに。置いて行った事に怒ったんだよ。そのくらい私から離れなかった。」と母。

「俺と二人で富山のじいさんのところに行った時は、家に入るのが嫌だって動かなかったよ。じいさんが何と言っても入らないんだ。あの時は参ったな。でも常願寺川で遊ばせたら一日中遊んでいて、それからお気に入りになったんだ。」と父。

二人して「慎一はみんなに可愛がられたんだよ。ラムネみたいな目をしてるなんてね。富山生まれだから余計に可愛がられたよ。」

そんな思い出話しをしてくれました。
私は二人が生きて来た人生そのものくらいに大切な存在なんだと、改めて深く思う一時でした。

父の90年、母の85年の喜びや悲しみ、苦労の中で私は育って来た。と言うか紛れもなく一緒に生きて来たのですね。その愛の深さをひしひしと感じました。


こちらは、母が用意してくれた朝食です。「このごろはだんだんと面倒になって来て、こんなもので悪いね。」と言いながら、私の好物の赤魚粕漬けを絶妙に焼いてくれて、味噌汁も美味しい煮干しで出汁を取っておりました。有り難く、美味しく頂きました。



あちこちに、散歩しながら廃屋のお庭から調達した季節の花が飾られています。


とても花が好きな母親で、古い家ながらあちこちに花があって艶やかにされています。

帰る時には「オニギリを作って持って行け」とふりかけや海苔を出してくれました。あーしろ、こーしろと世話を焼くのですが「大丈夫だよ」と私が握りましたら「お前、上手だね〜。」と驚きまながら「うるさいバアさんだって思ってるだろう?」と言うので「何言ってるの、母さんの心は伝わっているよ。」と返しました。

帰路もまわり道をしながら帰りました。息子の思い出がある場所を通ると胸の深いところからぐーっとこみ上げるものがあります。また、心がざわめき始めてしまいます。

そんな時には、一つ一つの事をなるべく丁寧にやる様に心掛けると落ち着いて来ます。


ちょうど干潮だった磯崎海岸に寄りました。


貝取のためでなく、流木を見つけに磯に降りて見ました。

なるべく綺麗で、気に入った形の流木を探しながらウロウロ致しました。


天日に当たると海苔の香りが致します。


無心に海風に当たりながら、流木探しをしていますと、それはそれで落ち着きます。

欲を出しては台無しの時間になってしまうのも感じます。

何事でも同じな様に思います。欲をかくと心の目が曇って、嫌な時間になってしまう。人にも、物事にも、愛情を持てなくなって結局時間をムダにしてしまう。

そんな風に思います。
人に怒ったり、憎んだりする事に使う時間がもったいないとも思います。
両親にも「お前が優し過ぎるから付け込まれるんだ。」と叱られたりします。「でも、仕返しだとか考えていると自分が嫌になるんだよ。言うべき事は言うけれど、囚われたくは無いんだ。」と話します。

自分の心は、誰にも何ものにも囚われたく無い。自由な心でありたい。だってそのために闘って来たのですから。

どんな支配にも心の自由は奪わせない。自由と言うのは、自らに由る事なのですから。

三つ子の頃から、そこは結構頑なだった事を知りました。なのできっと終生変わる事はないと思います。

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