辻川慎一つくば便り

新しい朝。

国鉄分割民営化での労働組合解体のための不当解雇に対し、多くの労働者が闘った北海道に思い入れがあるJR東日本の後輩から北海道旅行中との手紙が届きました。

廃線になった白糠(しらぬか)線を訪ねたあと、根室本線に乗ったらムダに待たされる時間が多いとの事でした。

作られた「赤字」を理由に国鉄を分割民営化して、不採算部門を切り捨てるとのキャンペーンを張り、同時に自民党の最大のライバルであった社会党の基盤だった総評(労働組合)を解体する事に主眼がありました。

国民の公共財産を民営化して売り払う。今まで当たり前の様にされて来た総民営化の突破口としてあった訳です。


(在りし日の白糠線キハ56形)


不採算部門の切り捨てによって、今や北海道そのものが不要であるかの様に弱体化してしまったのですが、少子高齢化の波は今や東京など大都市を除く全国の状態になっています。

人のいないところから、公共交通の足を奪うのを当たり前とするのですから不便になり、地方に留まる若者がどんどん減る。限界集落と廃屋だらけと言う事を、「国が」促進して来た事になります。

私たち労働者の方は、公共(他の人のために働く)と言う誇りを悪とされ、人としての当たり前の共同性を徹底して叩かれ、生活するためには仲間をも裏切るのが正しいとされました。

私が仲間たちと一緒に抗ったのは、まさにその点にありました。人を、そして仲間を踏み台にして自分だけ生き残るなんて生き方はごめんだ!と言うことです。

そして、小さい労働組合ながらもJRの労働組合解体攻撃の不法性と誤りを半世紀近い闘いの末に認めさせたのです。団結が崩されない時に勝てる。その貴重な真実を体験する事ができました。



(廃車にされた常磐線の485系)


そもそも例え赤字であろうとも、採算が合わないからこその国営であったのです。

民営とは、利益が上がらないものは切り捨てるべきと言う考えです。つまり、資本の論理です。

そうして資本主義は、永遠に発展すると言うおごった考え方が土台にあるのです。

不採算と言えば、生産年齢の人以外は「不採算」で必要がないと言う事にもなります。

その論理だと高齢者なんてのは、不採算の極みになる訳です。

「枯れ木に水をやるバカがいるか?」とは、故石原慎太郎氏の言葉でした。

すると国民の三分の一が不採算な人口になった事になります。


(こちらは、ドイツの485系。懸命に維持されて来たのですが、今年廃車になったとの事です。)


さて、私は思います。

土台永遠に発展するなんて事自体に無理がある。

誰しもにはっきり分かる事は、私たちは確実に死ぬと言う事です。

そして、人に寿命がある様に、全てに終わりがある。永遠なんて事があるはずがない。永遠でなくても努力し、永遠でないからこそ愛おしむ。それが、人間の素晴らしさなのだと思います。

永遠の発展なんてのは虚偽であると同時に、人間の傲慢であり思い上がりでしか無い。

終わりが無いなんて言うところに資本主義や社会主義の無理がある。


最近政府は、散々採算が合わないと邪魔もの扱いをして来た年寄りを使って労働をさせると言い出しております。

それ自体、労働をしたことのないない人間(政治家たち)の発想であり、労働者を軽く見ている事の現れだと思います。

世界を変える!なんてのもおごりだと思う。

しかし、世界は変り続けている。


いずれ虚偽は、虚偽として終わりを迎えるのです。

谷川俊太郎さんの「朝」と言う詩にありますが、眠らないと新しい朝は迎えられないのが人間です。

眠らない者に新しい朝は来ない。

ちゃんと眠る事、眠ってもらう事。それがが新しい朝を迎える条件であると言う単純な真実を思い出したいですね。

私は、もう一働きしてから眠ります。

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