前期高齢者奮戦記
帰りがけにスクールバスの運転士さんに会いましたら、今日が終業式で明日から夏休みと聞きました。
ミソキンくんもいよいよ夏休みなんだね!スクールバスの運転士さんたちも夏休みなので笑いながら「いいな~」って言いました。
私の方は、夏休みどころか昨日もアンビリバボーな「激務」でした。
近くに在住するベトナム人の通訳の人を乗せて楽しく話しながら順調に会社を出発。
空港でベトナム人実習生とは、直ぐに合流できました。
ところがネパールの実習生が乗った飛行機の到着が1時間遅れ。
ベトナム人の方々には座っていてもらい、私は立って探しながら待つ事にしました。私の仕事でありますので。
ところが、2時間待っても出口から出て来ません。待っている人には、中で何が起きているか分からないのです。
さすがにベトナムの人たちも「まだですか?」としびれを切らす。
私の方も、2時間以上立ちっぱなしで人探しですからかなり辛い訳です。足がうっ血しないように歩いてみたり、ちょっと屈伸してみたりして耐えます。
でも座りません。辛いな〜って思うギリギリまで行くと見えるものがある人間の不思議さを少しづつ体験して来ました。
恐らくこの世を去るギリギリでも見えるものがある。何だか、その修業をしているんじゃないかなって思えるのです。
楽ばかりしていると、苦しさだけ見て終わってしまうのじゃないかな?そんな風に思えて来ました。

(つくば市内の信号機。ぶつけられたのか斜めりながらも歩行者を守るお役目を果たしています。)
空港に来て3時間、もうすぐお昼と言う時間にようやく出て来ましたら、何と一人が車椅子に。アンビリバボー!
押して来たのは客室乗務員さんでした。「機内で食事をしたら調子悪くなりました。熱は無いので検疫は通りましたが、病院に連れて行って下さい。」と言う。
私の方は、丁寧にお礼を言った上で、病人を待合の椅子に座らせてから空港のサービスカウンターに行って代わりの車椅子を借りる手配をする。
手続きを済ませ車椅子を借り、他の実習生たちを誘導しながら、上司に報告し、車椅子を押して駐車場に行く。
その間もただでさえ大変なのに追加業務もあれこれ依頼される訳です。
それも落ち度なくこなさなければなりません。病人は、辛くてうなりながら嘔吐している。
本当は私自身がもうヘトヘトなんですが、それから運転士としてみなさんを無事に運ばなければならない訳です。
でようやく会社の研修センターに到着したのが13時過ぎ。
上司から「休んで下さい」と言われ食事をしていたら「救急車を呼んだので添乗をお願いします。」と言うのです。妻の弁当が無ければ昼食抜きになるところでした。
それでも2つ返事で救急車に。病人の事ですから。

(9月には66才になります。「緑寿」って言うんですね。こちらは、アメリカの「ルート66」。)
救急隊員の仕事ぶりと丁寧さに感心しながら分かるだけの事情を話します。さすがにつくばなのか、隊員さんは翻訳機能をつかいながら本人からも確認をします。
そして病院の救急処置室へ。
指示されて待合室に待機しておりますと「今日は救急車の搬送が多いので、点滴中の見守りをお願いします。」と言われる。
とにかく私しかおりませんので、笑顔で受けてベッドサイドへ。
病人は、吐き気が収まらないとベッドに座り込んでいるので落ちない様にサポートする。
落ち着いて来ると横になりたい様子で、ベッドの高さを変えろと訴える。病人と言うのは、辛いためか結構わがままなんですね。不満顔はちゃんとします。
熱中症で運ばれたのか周りの高齢者も、文句を言っているのが聞こえます。
それをなだめながら、落ち着いて安心させる看護スタッフの姿にも感心し、私も学びます。
背中に触れながら、点滴のチューブに配慮し横にさせる。高さの調整も本人の了解をうけながら行う。でタオルケットもかける。もちろん男の実習生です。
眠りだして一息付きましたら「あー、俺は一体何をしてるんだろうなー。」病院の窓から外を見ながら考えてしまいました。
まあ、遠い国から日本に来て、それでなくても不安な訳です。人が集まる。人が来る。と言う事には想定外が付きものなんですね。
私が20代で、みんなで新しい労働組合を作った時も想定外の事件ばかり起きました。
勝手な思い込みや断定、正義なんかで人も現実も切れないし、決して分からないと思います。
本当は、想定外って大事なんですよね。そう言う貴重な経験があって今の私なんだな~って改めて思います。
それにしても、疲れました。
ブログのテーマを「前期高齢者奮戦記」に変えた方が良いかな~なんて思ってしまいました。
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