辻川慎一つくば便り

果てしなき修行の旅

今週は土曜日も出勤なので、長い一週間になります。

自動車の運転には、性格やその時々の心理がもろに出る様に思います。

混んでいようといまいと譲らない人は譲らない。譲らない同士、早く行こうとする人同士はぶつかる。感情と感情が、車と言う大きな力と重量を持った「道具」で交差し、すれ違うのです。

そして、毎日の様に酷いけが人や死人が出ているのに「自分には無関係だ」と思っている。

まあ、地震であろうと災害であろうと自分に降りかからなければ関係無いのと同じかも知れません。

性格と言うのは、パーソナリティつまりその人の人間性って事ですよね。

そう考えますと、毎日運転の仕事をすると言うのは、毎日人間性の修行を重ねている事になるのかも知れません。


(本日の筑波山)

発車前には、いつもながら「今日は大丈夫か?」と不安になるのですが、先ずは心を落ち着かせて自分との向き合いだと言い聞かせる。


道路状況は、日々に違い同じ日はありません。何が起こるか分からない。何か冷っとする度に、相手のせいにして済ますのではなく自分の心構えを立て直す事の連続です。

いわゆる想定外の事が起こる「かも知れない」運転です。

腹を立てて相手を罵っても何も解決しない。人はもちろん車にも、あるいは立木や障害物にさえ決してぶつかってはならない。

そしてさらに、道路の流れを良くする判断をしながら。

大きなバスを安全に扱うドライバーと言うのは、大体が真っ直ぐに座っております。

まるで修行僧の様ですが、非常時への構えを常に取っているからなんですね。

なので姿勢や態度の悪いドライバーは、要注意かと思います。



昨日は、寒く強い雨の中、様々な困難を共に超えて60才を迎え一旦定年し、JRのエルダー社員になった後輩が夫妻で家を訪ねてくれました。


驚く様にたくさんの贈り物を持ってです。

立身出世よりも仲間たちを選んで生きたために、鉄道人生の大半を鉄道から外され、運転士として復帰したのは50才目前の年。

以来10年間運転士として無事故で走り抜けました。

彼もまた真っ直ぐに座り運転し続けました。

器用さだとか、運転技術の前に、人としての姿勢が違っている人でございます。

滅多に怒らない人ですが、深く怒ると誰にも止められない激しさがあります。

その彼を見ていますと、深く激しいからこその温厚なのだと感じます。

温厚な振りは誰でもできる。そんな見かけだけでない温厚さと言うのは、激しいからこそ本物なのだと改めて思います。



ラジカルと言うのは、根底的って事なんですね。見かけの問題では無い。人としての本質の事でございます。


贈り物の全ては、明らかに妻宛でございました。「どうして?」と驚く妻。

「う〜ん。たぶん俺たちの辻川を(党派から)取り戻してくれてありがとう!って事なのかな~。」

とすれば、私の方は、人としてもっと根底的であらねばならないと思うのであります。

一労働者の人間修行の旅が続きます。

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