辻川慎一つくば便り

みんなで越えて来た

今日は平日でありますが、会社にちょっと無理をお願いして有給休暇にしてもらいました。水戸地裁で動労水戸と言うJRの労働組合が提訴した裁判の判決があるからです。

2011年の9月、東日本大震災と福島第一原発事故が起きて半年の時に労働組合を敵視し、差別し続けるJR東日本に対して「最高裁判決を守れ!」と言う裁判を提訴しました。

未曾有と言っても過言でない大震災に原発事故の中で、私たちは何のために闘って来たのかを根本から問われた様に思いました。

ハンディやリスクを背負わされても、仲間たちを大事にして頑張って折れずに生きる。

その事が、改めて深く問われました。
そして、辛くとも明るく闘い励まし合う。

真実と苦しむ人々を置き去りにしたごまかしの「復興」に異議あり。

なので常磐線をめぐる被曝の強制に反対すると共に、JR東日本による労働組合破壊を許さないと言う訴訟を一体で始めました。


(福島県いわき駅前にて)

私が発案して、動労水戸組合員の同意を得て猛然とはじめた闘いでした。


それだけでなく2003年に最高裁で勝ったのですが、原告が限られていました。みんなで闘い、みんなで勝ち取った勝利でしたので今度はなるべく原告を増やそうと考えた訳です。

なので昇進試験制度での昇進昇格差別も加えた裁判にした訳です。動労水戸組合員であるというだけで試験に受からない理不尽は、職場の常識でありました。

サラリーマンとしては、夢を絶たれる。それを真っ向から問題にしました。

水戸地裁で、12年間も審議される事になった原因でもあります。JR東日本は、「上のまた上の判断が必要だ」と昇進試験の差別から逃げ巻くって来ました。証拠は一切出さない。証明するのは組合側だと言う訳です。

あまりにも長くかかったために、昇進試験制度そのものも変わってしまいました。

でも変わらないものがあります。
仲間を思い、人を思い、これからの後輩たちを思う仲間たちの存在です。


(職場で仲間たちと一緒に責任を果たすから、闘えます。)

残念ながら、人は何かの権威にひれ伏す事で自分を失います。


戦争の残虐さは、権威にひれ伏した人の残虐さを証明してきた歴史でもありますね。

長年一緒に生きて、闘って来た仲間たちが見えなくなった一部の人たちが現場組合員の声が聞けずに離れて行ったと聞きます。

そうです。人生にはいくつもの試練や分岐点がありますが、自分に取っての大切な存在をその度に思い返す必要があるのだと思います。


(福島県いわき市のゴルフ場で労働組合も、職場も越えて一時を共有た事もありました。)

昨日は、今の会社に新しく入った人と話しました。


お父さんが京成線の保線労働者。叔父さんが青函トンネルで殉職され表彰された人で海老原タカオと言う。母のいとこが東京で、国鉄清算事業団にいた方。

みんなにJRに入れと言われたけど「どうしても自分に合うと思えませんでした。」と、初めて話すのにそんな話をしてくれました。

私がJRにいた事を知っていたのかと思います。私は「損得よりも、合わないと言う感じは大事ですよね。」と話しました。

話しながら国鉄、JRで仲間たちと一緒に生きて、闘った事は実はとても大きな事だったのだなと改めて感じました。

自分たちをつまらない権威の中に位置づけて、小さくしてしまうのはもったいない。そんなに小さくないのですよ。離れたからこそ見える事です。

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