辻川慎一つくば便り

拾う神あり。

間もなく5月31日。亡くなった息子が生きていれば、40才の誕生日です。その日を前に、離婚し一人暮らし。

思えば60才を超え、JRの仲間たちと離れてからどん底に落ち込む様な経験を何度もして、立ち上がれない様な事が何度もありました。

いつも仲間たちに囲まれていて、守ったつもりになっておりましたが、守られていたのは私だったのだと改めて思います。

甘くない現実を何度も突きつけられ、這いつくばる様に何とか生きて来た感じが致します。

バス運転士への道も、人それぞれに違うとは思いますが、私には苦難の連続でした。甘くない現実を突きつけられる経験は、実は人として大切な経験だった様に思います。


昨晩観光バスで工場送迎をした第1便には、日本人の労働者も乗りました。


日本人労働者と言っても昔とは違い、皆さんそれぞれ雇用されている派遣会社が違う派遣社員です。つまり、それぞれが所属も待遇もバラバラ。

工場の送迎をやって初めて知った事です。そして現場の大半を外国人労働者が担っています。それが最先端の工場の実態でした。

駅に着いて、いつもの様に「ありがとうごさいました。」「お気をつけてお帰り下さい。」と声をかけておりましたら、一人の人が「完璧です。ありがとうごさいました。」と言って降りて行きました。

一瞬何を言われているのか?と「完璧とは何?」と自分の耳を疑ったのです。

しかし、確かにそう言われたのです。

観光バスの乗り心地が良いのは間違いありませんが、完璧とは私に対する言葉であり、それをわざわざ伝えたいと言う気持ちに驚いたのです。

そんな風に感じてくれる人がいた。それを言葉にしてくれる人がいた。

私の心が救われた一瞬でごさいました。

私が小学校送迎の時は、別の方が運転しますので同じ観光バスを運転しております。なので、バスが良いと言うだけではないなと思いました。

無事に仕事を終えた時に、思い浮かんだ言葉が「捨てる神あれば拾う神あり」でした。



捨てる神あれば拾う神ありとは
世の中はさまざまであるから、見限って相手にもしてくれない人がいるかと思うと、一方では助けてくれようとする人もある。たとえ非難され排斥(はいせき)されようとも、くよくよ心配することはないことをいう。

そうであります。
くよくよするより、やるだけの事をしっかりやり続ける。そうすると、捨てる人があっても、拾ってくれる人が出てくる。

思い返して見れば、そんな人生だったのかなと思います。

実際に今も、一人になった私の身を案じて拾って下さる神がおります。


(アオギリの葉)


今日は、小学校の送迎バスです。バスの手すりをギュッと握りしめていた1年生の女の子が乗らないので、シートベルトの着け方を教えていた2年生の男の子二人に聞いて見ました。

「ずっと乗ってないのかな?」と聞くと「たまに乗ってるよ。」と言うので一安心。続けて聞こうとすると「僕ね、スズメの死骸を見つけたんだよ。僕が見つけたんだよ。」と言います。「そっか〜。でも死骸を見つけても持って帰れないね。」と言うと「前に見つけた時は、土の中に埋めてあげたんだ。」と言います。「優しいんだね。」と私。

そんな会話をちょっとしてから停留所を発車致しました。

スズメの死骸を拾う神もおりました。

小さな子がいれば迷う事なく助けていたワイワイにぎやかな子どもたちです。

そっか。私も拾われてばかりでなく、拾う神にならないとな。

そんな事を学び直した次第です。

大谷翔平さんは「人が落とした運を拾っているだけ」と言うそうです。拾う神と言うのも、その様な習慣付けからなのかも知れません。

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