辻川慎一つくば便り

添乗指導をしながら

何やら良く分かりませんが、昨日から3日間、小学校の送迎バスで新人運転士さんの研修指導担当になっております。

昨日は、27才の青年、今日は定年退職後にバス運転士の道を選んだ60才の方でした。

昨日は、最初に運転をして見せてからやってもらいましたが、今日は最初からやってもらい添乗指導をしております。

自分で運転せずに、他の人の運転や作業を見て指導するって、実際にはかなり疲れます。

他の人の運転に向き合い、注意点や改善点を見極めながら、道や停留所も間違わない様に指導しなければなりません。

本当のベテランならいざ知らず、まだまだ苦労の足りない身でごさいますので、ことのほか神経と気を使う訳です。

朝の添乗指導が終わると、異様に疲れる私がおります。


人に見て頂く様な代物ではない事を承知しながらですが、3時起きで作った自作お弁当でございます。


別れた妻が料理上手だったので、私の出る幕は無かったのですが、「お一人様」になっても何を使っているか分からず、美味しいとも思えないコンビニやスーパーのお弁当よりはマシかなって思います。

食べるもので、身体が作られて動けるのですから。


小学校に咲いている「アツバキミガヨラン」。どうして「君が代」?って思ったら花がたくさん付くので「栄光が長く続く」と言うので「君が代」ランと命名されたとありました。


まあ「栄光」と言うよりは、泥まみれ、傷だらけの人生の私でございます。

さて「音楽性の違いで離婚しました!」と言う青年と給料の話しながら「バス運転士の給料だけで、結婚して子育てをするのは難しいだろうね。だから、青年が来ないし定着しないんだと思うよ。」って話しました。

今よりは良い時代のバス運転士さんたちは、給料の他にも収入がありましたし、スクールバスの運転士さんたちはダブルジョブをしながら家庭を維持した事を思い出します。

共稼ぎもありましたが、奥さんの方は短時間パートなどで子育てや家事を担えたので成り立ったのですね。あくまで、補助的な収入であり、ダンナの稼ぎがメインとして成り立ったから成立した家族関係だったと言う訳です。

あくまで高度成長が背景にあって成立した家族関係だったのだと思います。

ところで、その前提が崩れてしまった。それは日本だけでなく「先進国」全体で起きた事なんですね。

一人でしか生活できない収入と言う問題が、根幹にある訳です。しかも、終身雇用どころか不景気になれば、いつ切られるか分からないのですから、子どもを産みたい、育てたいと思ったらお金持ちや収入の高い人を選ばないとできない。

それが現実の背景にある訳です。しかし、企業も厳しい競争の中で生き残らないと消え去るだけなので、待遇改善なんて言っても高が知れていると言う事になります。

思うに、私の2度目の結婚の破綻の根幹にも、合う合わない以上に私の収入の問題が厳然としてあると思っております。

家族と言うのが、生きるための助け合いや生活の土台にならなくなっている。少子化の問題も、日本においてより急激に進んでいる事の土台に収入の問題があると言う事だと思います。

他方で家族と言う面倒な関係を作って維持しなくても、差し当たりは一人でなら生きて行ける、と言う事なんだと思います。

企業へのロイヤリティを失うと共に、結婚して家族を作り維持すると言うモチベーションも失われている。人との関係そのものが煩わしくなっている。

たぶん、それが今の時代的特徴なのかなと思ったりします。



ワクワクする様な夢や物語なんて描けない。努力して、見事に実ったなんて言う成功物語は、その様な経済的前提や個別の条件があればこそ。大半の青年たちには、そんな前提は無いのだと思います。


その人たちに、昔は良かった、こうしろよ!なんて言っても通用しない。

そんな時代の様に思ったりします。

その意味で、かつてない大変な時代の中にいる様に思います。

そんな時代の中で、バス運転士を目指して来た若者と直接関われている事は、有り難い出会いの様に思います。

彼らが向き合っている現実や時代が見えて来るのですから。そして、さしたる力も無い私でも、人を思いやると言う事はできるだろう。

いや。こんな時代だからこそ、そう言う事が大事なんじゃないか。

そんな事を考えます。

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