辻川慎一つくば便り

「孤立しない。させない」って?

元旦に能登半島の大地震があり、さらに隣家の孤独死に加え、一昨日には近所で連続刺傷事件が起きました。

何と言うお正月でしょうか?



初日の出を見て清々しく出発し、初詣では「中吉」で「今の道を淡々と進め」でしたのに…。

大災害の度に言われるのが「孤立しない。孤立させない。」ですが、その一方で身近に孤独死や孤立した人による「死刑になりたい」と言う無差別殺人事件が起きます。

その度に「信じられない」「怖い」と言う意見も出ます。

でも、根本は同じ様に思うのです。

孤独感って誰しもにある。

人間に取って孤独感って大事な感覚なんだと思います。実際に孤立する事は、死をも意味する。

だって人間は、人類として家族や仲間たちと共同する事で生き延びて今に至るのですから。

それも昨日今日の事ではなく500万年の人類史で継承され蓄積されて来た記憶であり、感覚なんですね。

つながり連帯する喜びと孤立する恐怖は、同じところから出ている訳です。

つまり人間だから。本当に孤立していたり、孤立感に襲われると追い詰められて死んでしまうか、自暴自棄になって孤立させた社会を恨み他者に攻撃的になる。


(桜川河岸には、水仙が咲いておりました。)


天変地異の災害になって突然孤立化が問題になるのではなく、実は日頃からの関係が問われ、孤立や孤独が否応なく剥き出しになる様に思うのです。

だから、別の事ではない。

災害への備えと言うと政府・自治体任せか、個別的対応の様ですが、実は最大の備えは日頃から孤立しない事。させない事にある。それを、孤独死や無差別刺傷事件は警告しているんじゃないか?

そんな風に思います。

災害が起こる度に、助け合う有り難さが言われるのですが、直ぐに個別の利害関係に戻り風化する。

風化させない備えと言うのは、日頃からの関係で「自分から孤立しない。相手を孤立させない。」事に務める事からの様に思います。


(事件が起きたドラッグストア。スーパーマーケットに隣接しています。私も何度か行った事があります。)


そう言えば労働運動には「連帯を求め、孤立を恐れない」と言うスローガンがありました。格好良い感じがしましたが、周りの人との深く心からの連帯がなければただの孤立でしかない。

果たして自分はどうだったでしょうか?色々な事件を見ながら、やはり反省する私でございます。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R