辻川慎一つくば便り
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分かるのではなく感じる人の心。
今日は、週一回の小学校生の送迎バスの運転です。
乗せている人は変われども、どんな状況でも安全、安心、快適に徹するのが二種免許運転士だと思っております。
色んな人を見て来て、二種免許を持っているだけでは、運転士足り得ないと思う様になりました。
私が到底及ばない腕を持っている人は、それこそ五万とおります。
大型バスで狭い道をガンガン走れる人がいて、凄い!私には無理って感心していたら介助人さんが「ジェットコースターに乗ってるみたい。昭和バカ男が〜。」って後から聞いて考えさせられた事もありました。
いかに運転が上手かろうと、乗っている人が怖くて不愉快ならば、バス運転士としては失格なんだと学んだ瞬間でございました。
俺は出来る。俺は上手い。と言う中に乗せている人や相手が無い訳です。つまり自己満足でしかないと言う訳です。
(排気ブレーキスイッチを入れると、排気口の弁が閉じる様になっています。)
マイクロバスから、中型バスに復帰した時の実務研修の時に「辻川さんは、排気ブレーキを使わないですね。」と言われました。
マイクロバスにも付いているのですが、エンジンの排気量が小さいためかあまり効果が無く普通車同様にエンジンブレーキを使っておりました。
ところが、大きなバスになると排気ブレーキの効果と言うのは絶大なんですね。
他の人が運転するのを見て、排気ブレーキの使い方を「盗み」見させて頂き、自分でも試行錯誤しながらどのように使うのが効果的かを日々の乗務の中で確かめました。
そして、法定速度に近い速度から、短距離であってもスムーズに減速できる事が分かりました。エンジンブレーキだと回転数が上がるので、一定のGがいっぺんにかかるのですが、排気ブレーキにはそれが無いのです。
なぜなら、排気口(マフラー)を閉じる事でエンジンの回転数を落として行くからなんですね。
お陰様で、私の運転は状況に応じた技を使える事で、ノロノロ運転をしなくても済むようになりました。
必要に応じてゆっくりも走りますが、道が悪くなければ速く走っても快適さを失わない運転ができる様になりました。
その道のプロから言わせたら「何を今さら」なんでしょうが、遅咲き運転士の私には大きな発見でございます。
(これで良いと言う事はない。とブログに出しましたら、「バカボンのパパは『これでいいのだ!』って言ってましたね。」とのコメントを頂きました。)
人の心と言うのは「分かる」のではなく音の響きの様に感じていると言う人がおりました。
例えば、アナログラジオの様に、周波数がだんだん合ってくると鮮明に聞こえて来る。
合わせ様ともしないで、分かるなんて事はありませんよ。って、そんな感じかも知れません。
俺はやれている。俺は上手い。俺は分かっている。
でも周波数が合わなければ誰も分からないし、お互いに聞こえないのですよね。
心の周波数が合って響き合えた時に、分かり合えたって感じがする。
運転の醍醐味も、人と人との関係なので同じじゃないかな?
そんな事を思ったりします。
上手いか下手か、気持ち良いか不快か。感じるのは相手なんですね。
なのでやはり、これで良いのだとはならないのかなって思ったりします。
最後に「これでいいのだ!」って思えたらステキだと思いますが。
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2024/12/03 12:33
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つくばの野菜
昨日の日曜日。
1年間工場の送迎でお世話になった同僚の菜園に、心ばかりのお礼の手土産を持って妻と一緒に訪ねました。
残念ながら、11月で仕事を変わる事になってしまいましたが「野菜が出来たら採りにおいで。」と言って下さいましたので、お言葉に甘えさせて頂きました。
とても美味しく、立派な無農薬野菜を作られている人です。
除草剤はもちろん、殺虫剤も使わないので雑草も生え、虫もたくさんおりますが「負けじ」と頑張っている野菜たちの生命力が凄い!と感じます。
つやつやして大きな「二十日大根」(ラディッシュ)に大感激する妻。
「どうせ食べきれないから、どんどん持って行って!」と勧める同僚。
お言葉に甘えてめちゃくちゃたくさんの葉物を頂いて来ました。
それにしても、ラディッシュから、のらぼう菜、からし菜、かき菜、わさび菜、小松菜、葉大根、そして白菜とたくさんの種類の葉物を作られていました。
妻が「一つも無駄にはできない」と段ボールにして四箱分の野菜の下ごしらえをはじめました。
「何か虫がいる〜」と呼ぶので行くと、マルカメムシでした。「触ると臭いよ。」と言うと「段ボールごと外に置いて逃がして。」と言う。逃がしてわが家に繁殖されても困るよな〜って思いながらも、殺生をしたくない妻の頼みなので逃がしました。
ほんの一部ですが、早速からし菜のお浸しを作って頂きました。
「葉物にうるさい」と妻に言われますが、やはり絶品です。唸りながら頂きました。
スーパーの野菜と比較するのも申し訳無いのですが、別物です。野菜の味が濃く、歯応えもしっかりとしています。
採れたての無農薬野菜を頂けるなんて、最高の贅沢の様に思います。
白菜も虫食いだらけで「大きな青虫がいたよ。」と言います。
「虫食いだらけは嫌がられるけど、虫も食べない野菜じゃ危ないよね。」と同僚も言います。
昨年末にも頂きましたが、やはり味が濃く甘みがあり飽きない白菜です。
さて、頂いた葉物野菜の全てがアブラナ科でございました。
アブラナ科の野菜には、ビタミンCをはじめたくさんの栄養素があり、抗がん作用があるそうです。
そんなありがたい野菜を綺麗に見せるために、農薬を使えば発がん性の野菜になってしまう訳です。
何事も見かけにだまされてはいけませんね。
と言うか、私には同僚が丹精込めて世話をして作った野菜の方がはるかに美しく見えます。
この方は、庭木や花、そして猫に対する愛情も深い人です。
つまりやっぱり人によって違うところに行き着きます。
彼の人柄と労働の結晶を頂いているのですね。
「種を蒔いたら勝手に生えてくるよ。」と笑うのですが、そんなに簡単でない事は、作物作りも上手くない私なので分かります。
「また花が咲いたら見においで。」と言ってくれます。「花を見てると癒されるんだ。」と言います。
花の時期も長くはありませんが、生き物を大切に思い、育てる人の人としての豊かさを思います。
きっと親もそんな風に生きてきたから、それを受け継いでいるのですね。土の豊かさを維持するのは大変な事だと思います。
人も植物も土壌が大事なんですよね。
野菜が美味しいつくばの中で、ひときわ美味しい野菜のお話しでした。
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2024/12/02 15:56
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お疲れ様でした。
おはようございます。
みなさま、良い一週間をおくれましたか?
私の方は、バスのトラブルはありましたが、月1回の工場の土曜出勤日を無事に終えてようやくの休みでございます。
いつもの習慣で3時に目覚め「今日は休みだった。」と二度寝しました。
眠れるって有り難いと思います。
人は、眠れないと新しく始まれない。いつまでも昨日が終わらないとリフレッシュできないのですね。
朝は、早く夜が遅い仕事ですが、夜勤の人の方が大変だと思います。
人の生理に反している訳ですから。
(晴れた日に日差しが当たると、障子にフウセンカズラのグリーンカーテンの陰が映ります。)
工場のベトナム人「実習生」に加え、日本人の労働者を乗せて駅に送る事になって2週間ほどになりました。
長い一週間を終えて、駅での下車お見送りの際「気をつけてお帰り下さい。」「お疲れ様でした。」と運転席からで失礼ながらお辞儀をして一人一人に声をかけますと「ありがとうございました。」と言って頂けます。
バス運転士ですので、不快な運転をして口だけ丁寧では通用しませんので、最初の頃より返してくれる人が増えた事をありがたく感じます。
駅でも、工場でも発車ギリギリに来る青年がいます。
大きな足音を立てながら、ゆっくりと歩いて来ます。その人なりのルーティンがあるのだなと思います。「障害者枠」採用の青年かと思います。
最初の頃は、あいさつしても返って来なかったのですが、小さな声で「お願いします。」と返してくれる様になりました。
口先でなく、感じるものだなって思うので、私に対して安心感をもってくれたのかなって嬉しく感じます。
なので、足音が聞こえないと心配になります。
記憶力が衰えを感じますが、一人一人のお顔を見てあいさつしていますと、顔は記憶するのです。顔で人を峻別できるのは、人の凄いところなんですね。
なので、昨晩も乗り遅れて走って来た人を見て、発車直後に停車して乗せたりもできるのです。
おいて行ってもクレームは来ないのですが、ちょっと止めて乗せてもクレームは来ない。
クレームの問題ではなく、人と人の気持ちと裁量の問題だと思います。
それを見て感じる人もいる訳です。
まあ、とにかくみなさま疲れていてようやくの週末。安全と安心第一。なるべく気持ち良くお送りするのが、私の仕事なのだと日々肝に銘じます。
そうやって日々、人として、運転士としての貴重な経験を積み重ねているのですね。
そして、これで良いと言う事がありません。
いつか終わる訳ですが、終わりのない旅の様に感じます。
みなさま良い日曜日をお過ごし下さい。
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2024/12/01 07:49
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土曜日なのに
今日は土曜日で、スクールバスはお休みです。朝早い出勤の人はあまりいませんでした。
「機先を制して」と言う訳でもありませんが「土曜日なのに出勤ですか〜?」と笑顔で同僚たちに話しかけます。「そっちこそ出勤かい?」と、何となく連帯感があるのが不思議です。
バスの点検の時にはまだ暗く、星も月も見えていて寒い。「寒いね〜。」と言い合いながら、また連帯感。辛い時ほど共感し合うって大事だと感じます。
灯火類も全て点検します。レンズが曇っていたら拭くと、何だか気持ちも引き締まります。
灯火類OK!
発車の頃には日が出て来ますので、終わりかけの街路樹の紅葉を見ながら気持ち良くスタート。
ところが交差点でブレーキを踏みますと「制動灯、尾灯」の運転席ランプが点いてしまいました。
アッチャー、ブレーキランプが切れたなー。まあ、ランプを交換しても5分程度。帰庫してからやろう。ついでにグリス給油装置にも、グリスの補充をしよう。等と考えました。
今日は土曜日なので、車庫も混雑していないので余裕だよ。なんて思っておりました。
誰もいない車庫で早速ランプ交換。
ビスを失くすのが一番面倒なのは、電車の修繕で経験済みなので外したカバーの中に揃えます。
楽チン、楽チン。
交換してOK!
それから車内とボディをできるだけ綺麗に清掃。燃料を満タンにして、所定の位置に停車する。
無事に終わったと思ったら、また「制動灯・尾灯」切れのランプが点いたのでございます。「え~っ!」
点呼に行って事情を説明しましたら「車両が古いので、ソケットの方の接触不良かも知れない。使ってないバスのと交換して見てくれませんか?」と言うのであります。
いやぁどうも。
バスの下に潜って見ましたら、暗く、しかも油で汚れておりました。しかも、ソケットには外れない様にフックがあるのですが、それがどこか分からないのでございます。
明るいところで、上からならば難なく見つかると思うのですが、下から手探りと言う感じなのです。
こんな時にはライトが必需品である事も、電車の検修の時の教訓でございます。
これを口に咥えながら、ソケット部分を何度も見て、マイナスドライバーで壊さない様にこじって見る。
シートは敷いておりますが、背中も尻も冷えて来る。首を上げながら良く見ようとするので、首も辛くなる。年を感じたりもする。
うわー一体どうなってるんだー。と独り言を言いながら、休んではまた挑戦する。
私の担当バスですし、誰もいないのですからやり切るしかない。
あれこれやっていて、フック解除の場所がようやく見つかりました。
場所が分かれば簡単な作業なんですね。
「コロンブスの卵」って言うと大げさかな?何でもツボが分かれば簡単なんですね。
こちらです。
悪戦苦闘約1時間。ポイントが分かれば、やはり5分とかからないの作業なのでございます。
こんな時には、不運と思うのかやれて良い経験が出来たと思うのかで全然気持ちが違いますよね。
古いバスなので、ポイントが分かってもその経験がどれほど役に立つのかは分かりません。
でも、音を上げずに自分でやり切れたと言うのは、何より自分の自信になるのだと思います。
分かる人、出来る人からすれば「それが何?当たり前の事だろう。」ってなるのかも知れません。
私は弱い。何より心が弱い。
だから誰かのアドバイスや存在があってではありますが、自分の弱さと格闘しながら、一つ一つ投げ出さずに自分でやり切る事で自分をつくり続けているのだなって思います。
他の人に取っては大した事でなくても、私に取ってはかなり嬉しい達成感があるのです。
出来ない人がいたとしても笑えないし、そう言う人を見ながら自分はどうだろう?って考えます。
残業にはならないのですが、報酬はお金では無いのでニコニコの午前中でございました。
これから夜の乗務です。
何があるか分かりませんが、一つ一つが自分の糧だと思いながらバスを運転したいと思います。
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2024/11/30 16:03
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無いと感じられるのかも知れない。
今朝家を出る時には3℃ありましたが、バスの点検をして窓が濡れているとタオルで拭きましたら落ちません。凍っておりました。つまり、氷点下だったのですね。10キロ程度なんですが、ずいぶんと気温が違います。
寒いのを我慢して書類を記入し、発車時間10分前までエンジン(暖房)を掛けずに待っておりました。
それでも昔の人に比べたら、大した我慢ではないよな。なんて思いながら。
思えば、我慢をすると言う事をずいぶんと忘れていた様に思います。
自分に取って大切な人や、本当に欲しいもののために我慢をする。
そうしてこそ、心からの喜びもあり悲しみもあった様に思います。
つまり心は豊かだったのではないでしょうか?
そんな事を考えながら、しばし耐えてみました。
こちらでは「燃える秋」も終わりに差し掛かっている感じがします。
明後日から12月ですね。
バスを運転しながら写真は撮れませんが、朝日を浴びた紅葉の街路樹は何とも言えないくらいステキです。
そんな贅沢の中での金曜日の出発でした。
発車の前に、まだ話しを聞いていなかった「後輩」の同僚に以前の職業を尋ねてみました。
驚く事が多いのですが、昔の道路公団で今は「NEXCO東日本」と言うのでしょうか、ハイウェイパトロールの仕事をしていたとの事でした。
高速道路で良く見かけるこの車ですね。
30年働いて、定年になって辞めたとの事でした。延長の制度はあるけれど2割くらいしか残らないとの事です。
30年で4人死んでいる。けがをする人はさらにいる。24時間体制で、リスクを考えると安い給料だった。殉職しても保険から400万円、2階級特進で退職金が少し増えるだけでした。給料が安くてもスクールバスの仕事の方が良いです。
そんなお話しをしてくれました。
「周りの車が100キロ超えで走る中、危ない仕事だとは思ってましたが、やはり亡くなっているんですね。多少給料が安くても、ご家族は今の方が安心ですね。」
そんなやり取りをしました。
道路公団といえば、昔の運輸省(今だと国土交通省)の天下りのポストでしたね。今も変わらないと思います。
上の者たちは、利権のグルーピングをしてしっかり守り続けている訳ですが、下の者は死んだり、再起不能のケガをしても守られたりはしない。
そんな現実の一端を見る思いがしました。
人を見るのではなく、お金と自己保身ばかり見て偉くなった気がしているんじゃないかな。
そんな風に思ったりしてしまいます。
(ドウダンツツジです。日当たりと栄養が良い場所だともっと鮮やかに燃える様な赤になります。)
「死」は貧しき者には希望であり、富める者には恐怖であったそうです。
一昨年の暮れに亡くなった私の叔母は、生前の名前からようやく解放されると言っていたそうです。現世がそれほど嫌だった事を亡くなってから知りました。
大変な時代と境遇を生きたのですね。
でも、彼女のかけがえのないはずの妹、つまり私の母に対してもいつも「お前は良い」とコンプレックスを持っていた様です。
私には良い叔母さんだったのですが、心の中は他の人との比較で不幸を背負い込んでいた様です。
他の人より豊かならば、幸福なのか?貧しければ不幸なのか?
どちらも人としての心を置き去りにすれば、地獄にいる事に変わりは無い様に思いはじめています。
比較で得られるのは自己満足と絶えざる不安、不満だけの様に思います。
どんなに立派な主張をしていようと、人としての中味が無いなら同じですね。
私も同じ様になりかけておりました。
本当は、何も持たず、それでも感謝を忘れず、人を思えるならば、幸せを感じられるのかなって思いはじめております。
空気の無い宇宙に行くと音も無くて、地球や星が見えるだけで、あまりにも何も無いから「感じる」と言う事が分かるって毛利衛さんがおっしゃっていました。
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2024/11/29 15:52
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