辻川慎一つくば便り
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心の灯火(ともしび)
バス運転士になりたての頃、一人暮らしをしながら筑西市のバス車庫に通っておりました。冬の朝5時に出て、約1時間。真っ暗な田舎道を走っていて、バス車庫の灯りが見えると「あー同僚たちがいる」とホッとした記憶がありました。
息子が死に、元妻と別れ、他の息子が私を憎み、孫にも会えなくなり、土地勘が全くないところでのバス運転士のスタートでした。
傷心の私にとって真っ暗の中の灯は、希望の光の様であり、人の温かみを感じる灯火であった様に思います。
その職場の人たちの、温かさや何気なく可笑しいやり取りに包まれ、昼間は野道を散歩しておりました。
スクールバスに乗って四季の移ろいを感じながら「糸巻きの歌」や色んな歌を介助人さんと一緒に歌う子どもたちの姿にも、どれほど癒されたかわかりません。
ある日、激しい兄弟ケンカをしたのか小学生の弟さんの顔に傷がありました。ケンカはバスの中でも収まらず、後からバスに乗って来た弟に、お姉ちゃんが通せんぼをして蹴ろうとします。
しょうが無いので私が止めましたら、怒って私に蹴ろうとしました。不自由な足なんですが、思いのほか力が強かったのを覚えています。
「あなたは関係ない。姉弟の間に入るな!」そう言う事なのかなって、ちょっと悲しくなりました。その日は歌も歌わなかったと思います。
しばらくすると、そのお姉ちゃんがなかなか渡せないとお母さんが二人の手紙を渡してくれました。
「運転士さんが大好きだよ。ず〜っとそばにいてください。」と言う内容でした。どんなにか嬉しかった事でしょうか。
バレンタインデーには、元JRの運転士さんだよって話していたのを覚えていて、お母さんから「二人からです」と電車のチョコレートも頂きました。
姉弟のケンカはそれからも激しく続いたのですが、あ〜そうやって気持ちをぶつけ合いながらお互いに無くてはならない関係なんだろうなって見れる様になり、笑いながら見ていられる様になりました。
自分の息子たちには、そんな気持ちのぶつかり合いを止めてしまったなって思いながらでした。
気持ちは押さえるものではなく、受け取るものなんだよなって。自分の心からの気持ちを押さえながら生きてしまったので、自分の子どもたちの気持ちも受け取れなかったのです。
(筑西市の散歩で撮ったたんぽぽです。どこにでも咲くのですが、やはり春の訪れと共に咲き出します。)
昨日「燈台草」の写真を掲載しましたら、知っておられる人からメッセージを頂きました。印象的な名前なので覚えていたそうです。
灯台と言うと私が思いだすのは
おいら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖ゆく船の
無事を祈って
火をかざす 火をかざす
と言う昭和の歌です。
「喜びも悲しみも幾年月」と言う映画の主題歌なんですね。1957年(昭和32年)に当時で3億円も売り上げた大ヒット映画で、主題歌も大ヒットしたのです。
私が生まれた年なので、両親が好きで覚えたのだと思います。
今は有人灯台は無くなってしまった様ですが、昔は人が灯を守っていて全国を渡っていた。戦前、戦中、前後に渡る灯台守の夫婦の物語でした。
嵐や荒れた天候の日ほど、船が難破しない様に陸地の位置を灯台から知らせる事が、GPSが普及するまでは船乗りたちの命綱であったのだと思います。
人の命を守るために高くかざす灯火を夫婦で守り、子どもたちを育て、息子はケンカで死に、娘は結婚して旅立った。そして夫婦が「灯台守で良かった」と言いながら残る。
そんな物語でした。
私には、そんな夫婦が理想だったのかも知れませんが、現実はそうは上手く行かなかった様です。
それも時代の変化なのか、そもそも稀な事だからヒットしたのかも知れません。
でも、誰かが困ったり、辛かったりする時にホッと安心する様な灯火になれたら、それだけで生きていて良かったと思える様に思います。
ちょっと昔は、炎の様に激しく生きていたと思います。その様に照らされるべき人たちがおりました。
今は、灯火になれたらって思ったりします。
そのうちロウソクの火になるのでしょうし。
それでも人を照らし続ける事はできるのですから。
https://youtu.be/H9GIqaQ9PVI?si=fDdNNtm0rKO_fm94
今日は、朝の乗務後にミーティングがありました。フルタイムパートになって初めての事でした。なんだろうな?って思っていたら「ベテランの人は、新しい人たちを見守り、育てる役割を果たして欲しい。もう良いかなと思っているかもしれませんが。」と言う話しもありました。下手くそでヘマをやらせたら日本一のバス運転士の私の名前も、本当のプロの先輩方と共に上げて頂きました。恥ずかしいからと穴に入る事もできない事ってありますね。
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2025/04/02 15:55
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赤心慶福
いや~、今日は雨で真冬の様な寒さに逆戻りですね。みなさま構えてご無事でお過ごし下さい。
私の方も「春の珍事」。春休みでスクールバスがお休みなので、休みでない工場送迎バスの私に次々と見習い運転士が付いているのでございます。
国鉄分割民営化に反対して電車運転士を外されましたので、元電車運転士と言っても3年程度でございました。つまり、見習いが付いたなんて事は生まれて初めての事なのでございます。つまり、私の人生史上画期的出来事なのでございます。
(日曜日、桜川市高峰で「菜花」を売っているのを発見!小躍りしながら買って来ました。何と朝採り一袋100円でした。)
今日は、私と同じ様に全く違う畑から来た60才の運転士でした。私も62才にてバス運転士を目指しましたので、大切さが分かる気が致します。バックが苦手と言うのも同じなんですね。何しろ大きいのですから。
昨日大型バスの運転練習をして「早速バックで擦ってしまい、厳しく叱られました。」と言うので「ベテランや大型トラックを運転して来た人と同じにできなくても当たり前なんです。見えない時は、そのまま行かず切り替えしてバスを真っ直ぐに立て直した方が良いと思います。ぶつけるよりもはるかに気持ちは楽ですよ。」ってアドバイスさせて頂きました。ベテランのみなさんは、私が下手くそなのを知っているので、いじりながら助けてくれるんですから。
(早速お浸しにして頂きました。昔自分で育てた菜の花の香りと甘みには敵いませんが、美味しく頂きました。)
実際に私が先に実走(お客さまを乗せて走る事)で運転して見せて、次に回送を運転して頂きました。クラッチのつなぎとブレーキが急過ぎてガックンガックン致しました。「うーん。慌てずにクラッチは柔らかくつなぎ、ブレーキも柔らかく踏んで止まれる様に減速して下さい。お客さまが不快に感じますよ。」「今のはダメです。」「そうそう、今の感じです。」とちょっと厳しくアドバイスさせて頂きました。「あの人はダメだ。」みたいな話しは聞いたのですが「何がダメなのかは言われなかったのかな〜?」なんて思いながらです。
何せ年下とは言え同じ60才の挑戦を始めた人ですから、私にだって伝えるべき事と伝える人があったと言う訳です。下手くその先輩だから伝えられる事があるのを「大」発見したのでございます。
(珍しい形の雑草にも出会いました、「燈台草」と言う名前なんですね。実は、友情と誠実さを表しているとして愛されて来た歴史があるそうです。)
勝海舟の「氷川清話」に触れた本に日本人は「赤心」を忘れてしまっているとの記述がありました。
「赤心」って何だ?
調べて見ました。
「赤心慶福」と言う四字熟語から来ていて、赤ちゃんのような真心で自分や他人の幸せを喜ぶこと、とありました。
それを短くしたのが伊勢の「赤福」なんですね。知りませんでした。
元々は、中国で一旦滅亡した王朝を立て直した光武帝の逸話から生まれた言葉でした。後漢書と言う本に残されているのです。
「漢委奴国王」と言う歴史の教科書に出て来る金印。あれを贈った皇帝なんですね。
「志ある者は事ついに成る」という言葉も残し、堅い志を持つ者は、困難や挫折があっても必ず乗り越えて、最後には成し遂げるとも言っております。
うーん。赤ちゃんの様な真心で他人の幸せを喜び、自分の幸せを喜ぶ。同時に堅い志を持ちなさいって人生の皇帝になる道なんじゃないか?
そんな事を考えております。人にアドバイスする事も赤心からその人の幸せを思っての事なの?が問われている様に思います。同時に運転士としての、人としての志が問われる。
何事でも同じ様に思います。
あ~赤福が食べたくなって来ました。
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2025/04/01 13:10
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風景にも出会います。
昨日は、せっかく天気の日曜日なので春を見つけにちょっとドライブに行きました。
ここに行けば、菜の花が映えるだろうなって思いましたらやっぱりでした。
土浦市の山の方にある「小町の里」近くです。小さな川が流れる辺りです。
川の名は何と「天の川」みたいです。
きっと明かりが少ないので星空も良く見えるのでしょう。
小町の里から朝日トンネルを抜けると旧八郷町のステキな里山の風景が広がります。バイカーも走っていましたが、きっと気持ち良いだろうなと思いました。私も窓を開けて風に当たりました。
さらに旧岩瀬町だった桜川市へ。
途中、見たいと思っていた「大覚寺」に寄りました。
親鸞ゆかりの真宗のお寺です。
真宗は、親鸞の弟子蓮如が開いた浄土真宗のルーツなんですね。父と私は富山生まれ。北陸は浄土真宗(一向宗)が大半で、信長に攻められるまでは100年以上に渡る強い共同体を作っていた歴史があるそうです。つまり、私にも縁があると言う事になります。
親鸞が説法したと言う石がありました。
信者を奪われた山伏が、親鸞殺害を狙って来て逆に弟子になったとの言われがある様です。
茅葺き屋根の古い庵があり、趣きのある日本庭園もありました。
京都にある桂離宮を模して作られたとの事で、どの角度から見ても裏が無い事から「裏見なしの庭」と言われているとの事です。
両親を常陸大子にある「月待の滝」(別名裏見の滝)に連れて行った時に、母が父に「うらみます」と言ったのを思い出しました。父は聞こえないフリをしていました。
今度は母を連れて来て「うらみなし」にできたら良いかも知れない、なんて一人で笑ってしまいました。
そして目的地は、旧岩瀬町羽黒にある高峰の棚田と山桜でした。
残念ながら山桜もこれからでした。
しかし、棚田にも映る山桜を見る事ができました。
かなり大きめの棚田でしたが、とても手入れが行き届いていて綺麗でした。周りがしっかり刈り込まれています。
棚田脇の農家のお庭もとても綺麗で風情がありました。植木にもちゃんと職人さんの手が入っておりました。植えている位置も背景をちゃんと考えてありました。見に来る人に楽しんでもらいたいと言う思いを感じます。
お昼は、棚田脇にある農家の菊池さんカフェで棚田米と赤飯のおにぎり。それから「無農薬で美味しいよ」とお勧めの草餅に致しました。
棚田脇のテーブルで山に向かいながら味あわせて頂きました。
私が美味しいと感動した筑波山麓の北条米・小田米が基準なんですが、同じ山の麓でもこうも違うのかって感じでした。
高峰棚田米の方は、甘みを抑えた無骨で強い感じがしました。草餅も、ヨモギも含めて食感が強いのです。こちらの人たちの好みなのかも知れません。
同じ茨城でも全然違う事を実感致しました。ちなみに、方言も微妙に違う事も知っておりましたので水戸とは違う文化圏だったのだと思います。ちょっと筑波に近いかも知れません。
何気にこちらでは雑草伸び放題ではなく、あちこちが綺麗に刈り込まれています。綺麗に住んでいるお宅も目立ちます。なので廃屋だらけで「終わってる」と言う感じがしません。
山桜が満開なら、こんな風に見えるのですね。素晴らしい風景だと思います。住む人たちが綺麗にしているからこそ一層映える様に思います。
初めて訪ねましたが、茨城にもまだまだ魅力があるのを私たち自身が知らないだけかも知れません。
心から見て味わおうとしなければ、人も風景も通り過ぎるだけの様に思います。
今生きてある事自体が奇跡の様なのに、駆け足人生でもったいない事ばかりしてきたなって思いました。人だけでなく風景にも出会い直しています。
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2025/03/31 14:13
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心の出会い直し
一旦20度超えをした気温が下がり、昨日はとても寒く感じました。でも、開花し始めた桜がその分長く楽しめますね。
私の担当コースで土曜日出勤の良いところは、夜が2便目までで乗客がいなければ1時間早く帰庫できる事です。
ところが昨晩は、走行途中から排気ガス浄化装置(DPF)のランプが点滅。
点滅した時はバスを停車した状態でマフラーに詰まったカーボンを強制的に焼かないとなりません。そのまま50キロ以上走ると時速20キロくらいしか速度がでなくなってしまいます。
仕方が無いので帰庫してからやったのですが、いつまで経っても消えてくれません。
昨晩同じ工場送迎の大型バス担当だった年下の先輩同僚が、気にかけて見に来てくれました。
ただでさえあ〜あってところに、突然運転席脇の非常ベルまで鳴り出して困っていたところでした。非常口のカバーが開けられると鳴る事は知っていたので、カバーを点検しても異常が見えず「訳が分かんないな。」って感じでした。
(昨年植えた庭の小さなレンギョウも咲き出しました。)
その先輩に「困ってます。」と相談しましたら、非常口の取っ手カバーを外しカバーをした時に押されるスイッチを押しました。「あ〜、スイッチが押しても固くなって押せないんだ。」と何回か押していたらベル音が止まりました。
そして「前にも経験があったから。」と言います。私にも子どもにいたずらされた経験があるのですが、深さの違いをしっかり感じました。
DPFの方も、「アイドル回転数が600程度だと低すぎるな。1000くらい無いと焼き切れないはずだよ。」と言ってあれこれやって見てくれました。
そして「乗用車だけでなく、ディーゼルのバスだって技術改良すればこんな面倒な事をしなくて済むはずだよ。政府が環境問題と言いながら、そう言うところにお金を掛けないのが問題なんだ。バスは必要で無くならないのにね。」と至極ごもっともなお話しをしました。
「寒いし、もうお帰りになって下さい。」と言っても「辻川さんだから、残業代もらえるし。」なんて言ってずっと付き合ってくれました。
結局1時間半かけてもダメで「点呼に頼むしか無いね。」となり、いつもより30分遅くまで付き合ってくれました。
(私が植えた南高梅の実が可愛く成っています。何気に哀しい感じも致します。)
そう紹介すると、とっても良い同僚って感じがすると思います。
でも実は、あちこちでぶつかってしまう人なんです。
初めて見たのは、別の同僚に怒鳴っているところでした。次は、工場の送迎をやっている他社のバス運転手との衝突です。「辻川さん、スジの通らない奴だ!やっても良いか?」と私に同意を求めて来ました。なだめるのが大変で、2度目にぶつかった時にはもう止められず、怒鳴り込んで行きました。後で他社の運転手さんには謝りに行きました。私が頭を深く下げると相手の運転手さんもニコニコしてくれました。
ほんのちょっとの事で、お互い様だと思うのですが自分の気持ちにストレートな人なんですね。ぶつかるって、心から通じたいって事の現れでもあると彼を見ながら思いました。
つまり、自分に正直に生きて来た人なのだと思います。だかや、決まりや自分のルールで人を見る人には実に厄介な人と言う事になる訳です。
(私が2年前の初秋に散歩して、気に止まった集落がございます。共同で地下水の井戸を管理しておりました。公共水道を引く条件が、古くからの共同管理組合を解散する事だそうです。そうやって古くからの共同性を解体するのです。いまだに維持している事に感銘を受けました。ステキな集落です。心の友になってくれた人の故郷だと分かり驚きました。)
自分の災難よりも「辻川さんだから放ってはおけない。」とあれこれやってくれながら、帰ろうとしない彼の心の深さに出会った事の方が忘れ得ぬ記憶になった夜でございます。
人は、会ったから出会ったと言う訳ではなく、何度も出会い直すのですね。そうして、絆を強めて行く。他の誰でもないあなたと私の絆です。
それを感じられるかどうかは、やはり心を受ける自分の心次第なのだと改めて感じた次第です。
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2025/03/30 07:49
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人と出会う旅が続きます。
今日は土曜出勤日です。
日給月給の身には有り難いのでありますが、朝の乗務を終えてバス清掃をしましたら腰や背中が痛み出しました。水曜日の日勤作業での「無理」がたたったのだと思います。気温も下がり寒くなりましたので「スーパー銭湯」に行き、お昼を食べてお布団に入りましたらいつもは起きれるのに起きれませんでした。夕方出勤に寝坊なんて、シャレになりませんね。アルコール検査の前にパンを食べたら「赤」が出た前歴を思い出します。
ともあれ慌てて家を出て、無事ブログを上げております。
(土浦にあるとんかつ屋さん「いいとも」に行って見ました。感じがとても良い高齢の御夫婦がやっている住宅街にあるお店でした。お店の中もとても綺麗にされておりました。小鉢が付いてボリュームもあり美味しく頂きました。)
昨日は、自衛隊を定年退職されたばかりの元下士官の人が私の「見習い」につきました。
立派な経歴があろうと今はバス運転士の初心者だと言うのは、私の5年前と同じでございます。私の方は、労働組合の上部団体の代表として今の会社に30年前から関わってきた「レジェンド」でもありましたので大変さのレベルが違っていたとは思います。
相手にどんな経歴があろうとダメな事はダメと言える様になるまでに、5年掛かったのですね。色んな苦労を背負いながらバス運転士として生きて来た先輩同僚の気持ちが分かる様になっても来ました。なので乗務研修の冒頭にダメだと思った事について厳しく言わせて頂きました。
でもその人は「すみませんでした。」とちゃんと受け止めてくれました。
仕事にも積極的で、目が輝いている。「発車前に、クラッチの感覚を確認したいので車庫内を走らせてもらって良いですか?」と自分で感覚を確かめてから発車。運転も落ち着いて、安全確認もしっかりしておりました。
「バス運転士は安全運転は前提で、快適に気持ち良く乗って頂く接客業でもあります。」と話しましたら、私と一緒に一人一人にあいさつをしてくれました。
そして、運転席を離れたら同じ同僚として対等な仲間になります。もちろん私は、どんなに年下だろうと相手を尊重して向き合います。なので、ほとんど相手の話の聞き役になってしまいます。
(彼が幼少の頃から育ったと言う秩父の三峯神社。「神が宿っていると言う実感がします。」と言います。)
お話し好きでもある彼は、両親が早くに別れ母子家庭だったと言います。雨が降ると話し声が聞こえなくなるトタン屋根の古い借家で育ち、小学校一年生の頃、その屋根から落ちて頭を打ち大変な手術をしたとの事でした。
そのために1年以上学校に行けず、みんなに付いて行けなくなったので高学年では「別」の教室に通っていたと言います。
「障害」が残り感情のコントロールもできなくなり、算数は足し算引き算くらいしか出来ず、今でも漢字が書けないのです。と話てくれました。
思春期には、大暴れする乱暴者になり母親を困らせた。
それが、母親はもちろん、学校の先生や再婚相手の義父にも恵まれて自衛隊に入り頑張って来た。自衛隊でも人に恵まれ、妻に恵まれ、新しく挑戦するこのバス会社でも人に恵まれている。と目を輝かせてお話しをしてくれました。
お話しを聞きながら、一体どれほど大変だったろうかと思います。
それを乗り越えて来たから、人に感謝できる人になったのだと思いました。
一緒に字を書く場面があり、失礼ながら見させて頂きましたが、彼の話が嘘ではないと思いました。
計算が苦手で、字も苦手。大変なコンプレックスを克服しながら部下を指揮する下士官になったのですね。
退職時には120人が来てくれる大宴会で送られました。と言うのもうなずけました。
(かつて三峯神社の麓にあったロープーウェイ乗り場。その近くのお土産屋さんで働きながら、お母さんが育ててくれたので、みんなに可愛がってもらった幼少期だった様です。)
また一人、忘れ得ぬ人との出会いがありました。
バス運転士は、乗客との出会いだけでなく同僚とも出会います。
そして、その同僚たちとも何度も出会い直すのです。
そうして、私の記憶の世界が広がって行くのです。会社や色んな景色と共に、人が織りなす景色の記憶があるのですね。
故郷の風景が無くなっても、一緒に生きた時代が私たちの記憶の故郷になる。ボブ・ディランがそう時代を歌って来た通りなのだと思います。
https://youtu.be/sEAgwzKszEg?si=8dSpY7Iccu5c_kea
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