辻川慎一つくば便り
Home
人生最悪〜
ここ3日は、指導運転士として小学校の送迎バス担当でございます。
昨日は運転を見てもらう場面がなくずっと助手席でした。
なので、午後便で子どもたちを迎えて、子どもたちの方を向いて話しを聞く余裕もありました。
教えている方の人だと分かるのか、私に「先生」と呼びかけて「先生、てるてる坊主の作り方知ってる?明日遠足だからみんなで雨が降らない様に、てるてる坊主を作ったんだよ。あのね、ティッシュを三枚まるめてね…あ~明日晴れると良いな〜。」って、男の子、女の子がワイワイ言いながら目を輝かせて話してくれました。「そうだね。」と私も願ってしまいました。
2時半に目覚めると残念ながら雨音がしました。こういう時は、予報が当たるな〜なんて思いながら朝食を作りました。
酸っぱい柑橘類は苦手なんですが、何故か「八朔」は食感好きです。ちょっと季節外れなのに、和歌山の有田産八朔を売っていたのを買って来て添えました。
今日は、一昨日やはり私が「先生」と呼ばれたのに「バイトのお兄さん?」と聞かれてがっくり来た27才の青年運転士の「指導」です。
遠足も私の会社が受け負っておりますので、出勤してから中止でない事やスクールバスと競合しない事などを点呼で確認致しました。
無事に学校に着き、リュックを背負って来た子どもたちに「雨降りで残念だったね。」と声をかけますと「人生最悪の遠足だよ」と言います。「まだ、これからだって遠足はあるよ。」と言ったらちょっと間があって「今までの中でってことだよ。」と言います。「そっか〜。でも美味しいお弁当を食べて楽しんでおいで。」と笑顔で送り出した次第です。
明日が誕生日だった亡くなった息子が小学生の時に遠足から帰って、楽しそうに話してくれた記憶が甦ります。
なので、子どもたちが一層愛おしく思えるのかも知れません。
しかし、長くもないのに人生最悪って言う言葉には笑えました。
そんな朝の乗務を終えて、今日は寒いので公園ランチは止めて一時帰宅して休む事にしました。
近くのJAに寄り食材の補充がてら、欄の花も買って来ました。
一人暮らしも花があるだけで違って来ますね。
お昼を頂き、音楽を聴きながらちょっと休んでまた出勤致します。
寂しさも含め、悲しみも、不安ともしっかり向き合う事のできる一人の時間。
決して人生最悪ではなく、それも大切な時間ですね。
子どもたちに人生最悪の遠足がどうだったか、聞けたら良いなと思います。
それでは、出勤致します。
未選択
2025/05/30 11:59
0
添乗指導をしながら
何やら良く分かりませんが、昨日から3日間、小学校の送迎バスで新人運転士さんの研修指導担当になっております。
昨日は、27才の青年、今日は定年退職後にバス運転士の道を選んだ60才の方でした。
昨日は、最初に運転をして見せてからやってもらいましたが、今日は最初からやってもらい添乗指導をしております。
自分で運転せずに、他の人の運転や作業を見て指導するって、実際にはかなり疲れます。
他の人の運転に向き合い、注意点や改善点を見極めながら、道や停留所も間違わない様に指導しなければなりません。
本当のベテランならいざ知らず、まだまだ苦労の足りない身でごさいますので、ことのほか神経と気を使う訳です。
朝の添乗指導が終わると、異様に疲れる私がおります。
人に見て頂く様な代物ではない事を承知しながらですが、3時起きで作った自作お弁当でございます。
別れた妻が料理上手だったので、私の出る幕は無かったのですが、「お一人様」になっても何を使っているか分からず、美味しいとも思えないコンビニやスーパーのお弁当よりはマシかなって思います。
食べるもので、身体が作られて動けるのですから。
小学校に咲いている「アツバキミガヨラン」。どうして「君が代」?って思ったら花がたくさん付くので「栄光が長く続く」と言うので「君が代」ランと命名されたとありました。
まあ「栄光」と言うよりは、泥まみれ、傷だらけの人生の私でございます。
さて「音楽性の違いで離婚しました!」と言う青年と給料の話しながら「バス運転士の給料だけで、結婚して子育てをするのは難しいだろうね。だから、青年が来ないし定着しないんだと思うよ。」って話しました。
今よりは良い時代のバス運転士さんたちは、給料の他にも収入がありましたし、スクールバスの運転士さんたちはダブルジョブをしながら家庭を維持した事を思い出します。
共稼ぎもありましたが、奥さんの方は短時間パートなどで子育てや家事を担えたので成り立ったのですね。あくまで、補助的な収入であり、ダンナの稼ぎがメインとして成り立ったから成立した家族関係だったと言う訳です。
あくまで高度成長が背景にあって成立した家族関係だったのだと思います。
ところで、その前提が崩れてしまった。それは日本だけでなく「先進国」全体で起きた事なんですね。
一人でしか生活できない収入と言う問題が、根幹にある訳です。しかも、終身雇用どころか不景気になれば、いつ切られるか分からないのですから、子どもを産みたい、育てたいと思ったらお金持ちや収入の高い人を選ばないとできない。
それが現実の背景にある訳です。しかし、企業も厳しい競争の中で生き残らないと消え去るだけなので、待遇改善なんて言っても高が知れていると言う事になります。
思うに、私の2度目の結婚の破綻の根幹にも、合う合わない以上に私の収入の問題が厳然としてあると思っております。
家族と言うのが、生きるための助け合いや生活の土台にならなくなっている。少子化の問題も、日本においてより急激に進んでいる事の土台に収入の問題があると言う事だと思います。
他方で家族と言う面倒な関係を作って維持しなくても、差し当たりは一人でなら生きて行ける、と言う事なんだと思います。
企業へのロイヤリティを失うと共に、結婚して家族を作り維持すると言うモチベーションも失われている。人との関係そのものが煩わしくなっている。
たぶん、それが今の時代的特徴なのかなと思ったりします。
ワクワクする様な夢や物語なんて描けない。努力して、見事に実ったなんて言う成功物語は、その様な経済的前提や個別の条件があればこそ。大半の青年たちには、そんな前提は無いのだと思います。
その人たちに、昔は良かった、こうしろよ!なんて言っても通用しない。
そんな時代の様に思ったりします。
その意味で、かつてない大変な時代の中にいる様に思います。
そんな時代の中で、バス運転士を目指して来た若者と直接関われている事は、有り難い出会いの様に思います。
彼らが向き合っている現実や時代が見えて来るのですから。そして、さしたる力も無い私でも、人を思いやると言う事はできるだろう。
いや。こんな時代だからこそ、そう言う事が大事なんじゃないか。
そんな事を考えます。
未選択
2025/05/29 12:02
0
拾う神あり。
間もなく5月31日。亡くなった息子が生きていれば、40才の誕生日です。その日を前に、離婚し一人暮らし。
思えば60才を超え、JRの仲間たちと離れてからどん底に落ち込む様な経験を何度もして、立ち上がれない様な事が何度もありました。
いつも仲間たちに囲まれていて、守ったつもりになっておりましたが、守られていたのは私だったのだと改めて思います。
甘くない現実を何度も突きつけられ、這いつくばる様に何とか生きて来た感じが致します。
バス運転士への道も、人それぞれに違うとは思いますが、私には苦難の連続でした。甘くない現実を突きつけられる経験は、実は人として大切な経験だった様に思います。
昨晩観光バスで工場送迎をした第1便には、日本人の労働者も乗りました。
日本人労働者と言っても昔とは違い、皆さんそれぞれ雇用されている派遣会社が違う派遣社員です。つまり、それぞれが所属も待遇もバラバラ。
工場の送迎をやって初めて知った事です。そして現場の大半を外国人労働者が担っています。それが最先端の工場の実態でした。
駅に着いて、いつもの様に「ありがとうごさいました。」「お気をつけてお帰り下さい。」と声をかけておりましたら、一人の人が「完璧です。ありがとうごさいました。」と言って降りて行きました。
一瞬何を言われているのか?と「完璧とは何?」と自分の耳を疑ったのです。
しかし、確かにそう言われたのです。
観光バスの乗り心地が良いのは間違いありませんが、完璧とは私に対する言葉であり、それをわざわざ伝えたいと言う気持ちに驚いたのです。
そんな風に感じてくれる人がいた。それを言葉にしてくれる人がいた。
私の心が救われた一瞬でごさいました。
私が小学校送迎の時は、別の方が運転しますので同じ観光バスを運転しております。なので、バスが良いと言うだけではないなと思いました。
無事に仕事を終えた時に、思い浮かんだ言葉が「捨てる神あれば拾う神あり」でした。
捨てる神あれば拾う神ありとは
世の中はさまざまであるから、見限って相手にもしてくれない人がいるかと思うと、一方では助けてくれようとする人もある。たとえ非難され排斥(はいせき)されようとも、くよくよ心配することはないことをいう。
そうであります。
くよくよするより、やるだけの事をしっかりやり続ける。そうすると、捨てる人があっても、拾ってくれる人が出てくる。
思い返して見れば、そんな人生だったのかなと思います。
実際に今も、一人になった私の身を案じて拾って下さる神がおります。
(アオギリの葉)
今日は、小学校の送迎バスです。バスの手すりをギュッと握りしめていた1年生の女の子が乗らないので、シートベルトの着け方を教えていた2年生の男の子二人に聞いて見ました。
「ずっと乗ってないのかな?」と聞くと「たまに乗ってるよ。」と言うので一安心。続けて聞こうとすると「僕ね、スズメの死骸を見つけたんだよ。僕が見つけたんだよ。」と言います。「そっか〜。でも死骸を見つけても持って帰れないね。」と言うと「前に見つけた時は、土の中に埋めてあげたんだ。」と言います。「優しいんだね。」と私。
そんな会話をちょっとしてから停留所を発車致しました。
スズメの死骸を拾う神もおりました。
小さな子がいれば迷う事なく助けていたワイワイにぎやかな子どもたちです。
そっか。私も拾われてばかりでなく、拾う神にならないとな。
そんな事を学び直した次第です。
大谷翔平さんは「人が落とした運を拾っているだけ」と言うそうです。拾う神と言うのも、その様な習慣付けからなのかも知れません。
未選択
2025/05/28 12:01
0
夏椿の蕾
朝の出庫前、「辻川さん。今日は観光ですか?」とスクールバスのベテラン添乗員さんがいつもの笑顔で聞きました。
「はい。工場に観光に行くんですよ。」と私も笑顔で返しました。今週いっぱいは、観光バスでの送迎になりそうです。余りに乗り心地が良いので、別れるのが残念な気も致します。
ベトナム人の実習生たちも「凄い!」と喜んでおります。豪華さと乗り心地が違うのは、分かりますからね。
ベトナム人実習生の中に、以前は富士山が見えるレストランで働いていたと言う人がおります。レストランで働いていたので、日本語もかなり話せます。
その人が、とても嬉しかったらしく「今度ベトナムに帰れます。」と言いました。「良かったね!」と言うと「4年も会っていない子どもに会える。」と言うのです。「そんなに会って無いの!どのくらい帰れるの?」と聞きますと「2週間」と言いました。「短いな〜。」と言いますと「ここで3年頑張れば1ヶ月帰れます。」そう言いながら嬉しそうにしておりました。
以前実習生の仕事もやり、多少なりとも話しを聞いて来ましたので、ベトナムでは子どもたちの世話を祖母祖父がやって、働きに来ている人もかなりおります。
日本では見られなくなった家族みんなで助け合いながら生きて行く、と言う生活がベトナムには残っているのですね。
昨日の「観光バス」の夕方2便目は、珍しく乗客がいませんでした。なので約1時間待機になりました。
工場の門前には「万博記念公園」が見えます。前月までは真っ暗でしたが、今では景色が見える様になりました。なので、公園を眺めながら一息着きました。
ふと脇を見ると夏椿の蕾が見えました。
「あ〜もうすぐ咲くんだ。」楽しみだなと思いました。
暑い時期に涼しげに白い花が咲きます。幹もサルスベリの様にツルツルしていて綺麗です。
こんな花が咲くのです。
別名シャラ。インドの沙羅双樹に似ているとの事で、そんな別名があるそうです。
平家物語の冒頭の一節にもありますね。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に続き
「娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」と言う一節です。
娑羅双樹は、釈迦が悟りを開いた際に座ったとされる樹木。
この花の色は、どんなに栄えている者も必ず衰えることを表しているとの事です。
まあ、私が労働組合運動や政治運動で見て来た事も、そのまんまでございました。
成し遂げたと思った後から、どんどん崩れ去って行く。「何十年史」なんてのを残そうと書いたら終わって行くのでございます。
諸行無常なんですね。そこに私たちは生きているのが現実なのでございます。
無常だろうと無情だろうと生を受けたからには、生きなければならない。食わなければならない。生活しなければならない。
考えて見ますと人間以外は、そんな事に悩んでいる暇は無いのでございます。ひたすら生きて、繁殖して、死ぬ。そんな事に疑問なんか抱かないのですね。
(バス車庫近くの「ウツギ」類は満開でございます。)
どうも精一杯、色んな事をやって来て、一体俺は何をやって来て、何してるんだろうって虚しさに襲われるのは、それだけ年を取ってしまったと言う事なのでしょうか?
お釈迦様は、究極のマイナス思考からどうすれば良く生きられるのかの悟りを開いた様です。
人が努力して世のため人のために尽くして名を上げるのが、理想の人生だなんて言う近代的考え方の前提自体が違っていた様にも思います。
家族制度の現実的崩壊の中で、家族的経営や家族的労働組合等も古い在り方になってしまい「なんですか?それ」みたいな現実ですよね。
でも、人は共同性を求める存在です。
新しい共同性は、どこから生まれるのでしょうね。
一人になり、日々の生活のやるしかない仕事と日常の雑事を淡々とやりながら思う事です。
未選択
2025/05/27 14:59
0
落ち込むのも大切な時間
土日とブログもお休みしました。
私の方はゆっくりどころか、離婚した妻が、何も言わずに突然いなくなった最初の土日。
何がどこにあるのかを確認しながら、私らしく住める様に家の中を整理するのに忙殺されておりました。
向こう1週間の食料なども買い出しに行ったりもしました。
おまけに町内会のクリーン作戦(児童公園とゴミ置き場の草刈り)もあり、疲れ切ってしまいました。
「私は大変だけれど、あなたは何も変わらない。」と言っておりましたが、今まで家を仕切っていた人が居なくなるのですから、大変でない訳がありません。
しかも、家の中も、庭に植えた植物も全てに彼女との思い出があります。なので、一つ一つを確認、整理すると言うのは精神的に辛い作業なのでございます。
すっかり気が滅入ってしまい、フラフラが酷くなりました。
そう言う事に平気である人もいるのかも知れませんが、とてもそうクールにはいられない私がおります。
最寄りのJAに野菜等を買いに行きました。採れたて野菜が並んでおりますし、スーパーより新鮮で安いのです。
鉢植えの花もあるので、見ておりましたら奥の目立たないところに、アジサイがありました。しかも私が植えたいと思っていた「普通のアジサイ」が、一鉢250円で売られておりました。
一瞬目を疑いながら、出会いに感謝して迷わずに買って、早速庭に植えて見ました。
以前の家にも立派なアジサイがあって、とても気に入っていたのですが、前妻に家ごと渡して来ましたので心残りでありました。
何の因果か、前妻と別れて再婚した妻とも破局。そんな中でのアジサイとの出会いです。改良された西洋風のアジサイは、面白いとは思いますが、植えて育てようと思うほどには惹かれないのです。
来年は、水に浮かべて家の中で楽しめるくらいに咲いてくれると良いのですが。特別の美しさが感じられます。
片付けながら、整理しながら自分好みの部屋にもしております。
15万円ほどした結婚指輪を売りに行きましたら35000円になりましたので、思い切って中古ではありますが、良い音がしそうなCDプレイヤーを買いました。ハイレゾとか言うやつですが、それよりも昔のビクターが良い音でしたので今のJVCと言うメーカーのを選びました。
いやぁ~、さすが良い音が致します。大らかさな時代のオーディオと違い、クリア過ぎる感じがしますが。
で古いコンポや指輪を査定している間に、クラシックのCDを見ておりましたら「マリア・カラス」が300円で売られておりました。
早速聞いて見ましたら、いやぁ~感動的に美しい歌声でございました。
世界に認められた美声と美貌の持ち主だったのですね。しかし、彼女が求め続けた永遠の愛は得られなかったそうでございます。
美しく感じるので、余計に悲しい感じが致します。心に沁みる様な深い美声と美貌があっても幸せでは無かったのですね。
手づくりの椅子をサイドボードの棚代わりに変身させて、息子の写真と私が掘ったお地蔵さま、そして亡くなった星野文昭さんの代わりに徳島県の鮎喰川から持ち帰った石を飾りました。
一緒にマリア・カラスを聴き、フジコ・ヘミングを聴き、哀しみます。美しいと言うのは儚い。しかし、美しいと感じるのは儚さや哀しみを知るからの様に思います。
やはり手づくりの本棚に、残っていた本を並べました。
デスクからナンキンハゼが見えます。筑西市の車庫で働いていた時に小さな苗を掘って植えたものです。
木陰にいる様な感じがします。
一人になって1週間。
どうしょうもない寂しさや虚しさに襲われますが、それも大切な時間ですね。
私だけが寂しく、虚しい訳ではありません。なのでそれもしっかり感じる事で、美しいものを美しいと深く感じ、花も人も愛でる心と時間を大切に出来たらななって思います。
未選択
2025/05/26 15:30
0
前のページ
Home
次のページ
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
カテゴリー
未選択(1391)
最新記事
間が語りかける。
(06/04)
習熟することと確かな自分。
(06/03)
遅すぎる花
(06/02)
去る者は追わず、来る者は大切に。
(06/01)
持続する関係って?
(05/31)
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
リンク
管理画面
新しい記事を書く
P R
ページトップ