飼い慣らされない道。良く見て良くまねる。
みな様、勤労感謝の日でお休みなれどいつも通りピタッと3時半に目覚めてしまいました。
JRの後輩から、今から20年前の「教育改革国民会議」で「子供を厳しく飼いならす」と言う自民党政府が主張していたことを忘れてはならないと思うと言うメールをいただいたばかりです。
私も飼いならされてしまったのでしょうか?
休みの日でも、出勤日と同じ時間に起きてしまいます。
体調のサイクル。体内時間の調整をしないと乗務が大変になるのは結局自分だし、鉄道の様にATSがある訳ではないので安全は運転士の心掛けと注意に掛かっています。
そう言う意味では、合理化や効率化が簡単に出来ないできた業種かも知れません。
バス業界は、休み無しのロングランで重大事故が何度も起きて来たため、規制緩和と規制強化の間でジグザグして来た様に思います。

国分さんが運転士を外されてしまいましたが、電車運転士の後輩がいます。そのパパラッチ写真です。
36年前動労水戸と言う労働組合を一緒につくり、運転士から排除されて最高裁判所で勝ち50代になってハンドルを奪い返した仲間です。
国鉄時代の古い車両と最新型では、動力も制御システムも全く違います。
私が電車運転士だった時には、乗客が満員かどうかでブレーキの効きが全く異なり「電車が止まらない!」と言う夢をよく見ましたが「今の電車は全然違います。」とは国分さんからの話しでした。
私は電車検修もやりましたので、E531系などには各車両の荷重に合わせてブレーキ圧を変えるシステムがあることは知っておりました。
ハード面の向上で変わったのは、操作性能と速度と正確さ。同時に進められたのは走行距離と時間の極限的延長なのだと思います。
大変さの中身が違う。実際に国鉄から頑張り50代で電車運転士になった後輩は「60過ぎて電車運転士を続けるのは厳しい。」と話します。

こちらは、私が今運転している三菱ふそうのエアロミディの同型バスです。
先輩方の話を聞くと、昔のバスとは全然違うと言います。ギアチェンジ一つにコツが必要だったし、故障もした。道路も酷かった様です。その点は改善したけれど、一番変わったのは賃金が下ったことだと言います。
そして社会的位置も下った。
そう。私の子供のころは機関士も電車転士も、バスの運転士だって尊敬されていたと思います。
ところで尊敬されると言うのは、上から与えられたり、飼い慣らされることから生まれるのでしょうか?
それぞれの人の人に対する姿勢こそが、尊敬される本質の様に思います。
個人の尊厳や自由に基づく社会を目指すのがリベラルであり「左」で、歴史と伝統を強調するのが「右」だとか。
ところで、それを上から国家的強制で実現しようとするところに安易さと怖さがある点が共通していると思う。
人には、何かをしっかりと見ようとする時には、目の中心に据えないと見えないと言う特徴があると言います。
気にして見ると確かにそうです。
私たちは、見ている様で見ていない。見えている様で見えていないことがある。飼い慣らされると言うのは、自分自身の目で見ることを明け渡してしまうことの様に思います。
良く見て学ぶ(まねぶ−まねるから来ているのですね。)のです。だから、もったいないのです。
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