辻川慎一つくば便り

「マネる」人間の能力

みな様、良い日曜日をお過ごしでしょうか?

なるべく快適な生活を送るために色々とやっていると休みもあっという間です。

妻が仕事なので、今日も掃除、洗濯、買い物をして仕事用のワイシャツとズボンにアイロンをかけたらこの時間になりました。

昨日は、疲れを解しにお風呂に入りに行きましたが、せっかくのお天気でしたので気晴らしに土浦市にある「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」を訪れて見ました。


遺構から再現された縄文時代の竪穴式住居がありました。



天井には吹き抜けがあるし、冬は寒いだろうなと思うのですが「冬暖かく、夏は涼しい構造」との説明が書いてありました。


改めて見直してみると、日本家屋の原型なんだと感じます。

それにつけても、入口が狭い!と言ったら「あなたみたいな大きな縄文人はいなかったでしょうね。」と妻。


広場には、製塩釜の遺構もありました。


現在の霞ヶ浦は、海だったので製塩をしていたのですね。

魚や肉や、木ノ実も、火を使うことで食べやすく、消化しやすくなりました。

火の使用が人間の脳をさらに大きくし、顎が小さくなることで言葉を使うことを可能にした。

ところで、塩気がないと美味しくないし、生きるためには欠かせないのが塩分です。

ここで作られた塩が、遠く長野まで送られ、長野からは矢じりなどに使われる黒曜石がもたらされたそうです。

5000年から1万年以上も前のこと。


縄文式土器も、私が好きな火焔型土器だけでなく、色んな形や模様があります。


土器も色々なところで影響し合っていたことが分かりました。

自分たちが知らない、違う文化やものに興味津々で真似たり、学んだりして生活を豊かにして来たのですね。

真似ることは、人間の特別の能力である様です。

真似ると言うことは、自分以外の人になって見ると言うこと。

自分以外の人が、自分と同じではないと言うことを発見すると言うこと。

それは、容姿や動作が違うだけでなく考え方や心も違うことの発見なのだと思います。

相手の立場や心に身を置けることは、他者の視点が持てると言うことでもあります。

そうして、人としての交流や交歓が成立する。

縄文人の時代から、その本質は変わらないんだよな。

そんなことを考えました。

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