12月1日、嵐後晴れ。
昨日車庫に戻ると雲が雄大に見えました。
今朝は風雨が強くなり、嵐の様な中で子供たちを迎えに行きました。
ただでさえ見えにくいのに、子供たちが乗ると今度は外気温との差で窓ガラスが曇って前が見えない。
バス停は、深い水溜り状態で、避けながら乗車場所を決めるのにまた一苦労。
実際にやって見ないと分からない苦労や試練がございます。
無事に送って当たり前の仕事ですが、当たり前ではないことを思い知る毎日です。

今日から私の勝田車両センターの「後輩」が、定年再雇用で不当な扱いを受けて土浦運輸区の清掃の仕事に従事します。
私が運転するバスは、土浦運輸区の上を通る跨線橋を毎日走ります。
何のめぐり合わせか分かりませんが、バスの運転士になっても鉄道や、その仲間たちとの縁の深さを感じます。
その後輩は、私が25年に渡る鉄道業務からの排除に負けず52才で車両センターの検修の仕事に就いた時に、仕事を教えてもらった後輩です。
どうせいずれは廃車になるから、覚えなくても大丈夫と言われたのですが、415系ステンレスの「PC屋」と言われる難しい検査の仕事も教えて頂きました。
私には、電車検修の基礎の経験が無いので応用編の検査をやり遂げることがかなり大変でした。
彼の見習いに付いて、415系の結線図を示しながら一つ一つの検査の意味を説明してくれる。
PC屋と言うのは、運転台に指示を出してパワーユニットが正常に動作していることを確認する重要なパートで、言わば花の役目でもありました。
彼に学んだ一番のことは、人に教えると言うことが全身全霊の行為であることでした。
つまり、教える責任の重さと言うことを一番学んだと思います。
私も全身全霊で学びました。
見習いでなく、本番でそれをやり遂げた時に、見ていた人たちから拍手を頂きました。

私はJRを去り、ほぼ同時に415系も廃車になりました。
私に全身全霊で、仕事を教えてくれた後輩も勝田車両センターから引き離されました。
では、一体なんの意味があったのでしょうか?
私たちの中には、誰にも消せない人としての深い信頼が残っているのです。
今も勝田車両センターにいる後輩の「先輩」が「勝田車両センターは、今でも辻川さんのホームだから」と言ってくれます。
例え会社の指示で仕事をしていようと、働いているのは私たちです。
私たちが自分たちの意思で、仲間たちと良い仕事をすること無しに価値ある企業たり得ないのです。
人としての責任と信頼を蔑ろにして、永続的に繁栄することなど無い。
私は、自分自身の生きた経験からそう思うのです。
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