辻川慎一つくば便り

父の背中

穏やかな日になりましたが、みな様お元気ですか?
 
昨日は、お彼岸なので妻と一緒にお墓参りに行って来ました。
 
亡くなった息子と妻のお父さんが入っているお墓です。
 
富山県と秋田県出身でこちらに流れ着いた私の両親が建てたお墓なんですが、妻を深く信頼して妻のお父さんの遺骨も埋葬してくれた経緯があります。



再婚する以前は、一人でお墓に来て泣いている事が多かったのですが今は必ず妻がついて来てくれます。

私の表情も別人の様に穏やかになったと言われます。

妻に出会った頃に、毎朝息子に亡くなったお父さんや大切な人に「お茶を上げなさい。」と欠かさない姿に感心しました。

「死んだら関係ない」と言う人たちと全く違う人の心を感じました。

周りにたくさんの人がいても、心無い人たちばかりなら孤独になります。

心無い人たちに持ち上げられて、本当に大切に思ってくれている人の心が、見えなくなっておりました。


お墓参りをして、私の実家の両親と一緒にお昼を頂きました。


米寿の父と5才下の母でございます。

二人から出るのは私の小さな時からの思い出ばかりです。

「あのときは常願寺川で水遊びさせて上滝の兄貴の家に行ったね。慎は水遊びが好きだった。」

「その時父さんにおんぶされたのを今でも覚えていますよ。」

一体いつくの時の話しでしょうか?

母の私への思い出と言えば数えきれないほど出て来ます。

「あなたって、どれほどご両親に大事にされて来たのでしょう。それを忘れるなんてとんでもない親不孝だったね。」

そう言われます。

「家族は、革命運動の妨害物になる。」なんて事を、10代から吹き込まれて来た。

親に育ててもらったのに、大した人間になった気で親を低く見る。頭でっかちインテリ人間の考え方ですよね。

労働者を低く見て、インテリが偉いなら会社や資本主義の構成と何も変わりません。

私は、労働者である両親を尊敬するから労働組合運動をしようと国鉄に入った。

その労働者である両親を妨害物とする革命って何だ?

今思えば、合うはずが無い。

私もバカなインテリ気取りだったから、足元をすくわれたのでしょう。

私も、息子を精一杯抱きしめて、背負って育てたつもりでしたがいつも一緒にいる父親ではありませんでした。

その事への後悔が、悲しみの涙と共にあります。

私は、両親の人生そのものだったのですね。改めて両親の私への深い思いを受けながら、今も元気で生きていてくれる事に心から感謝した日でもありました。

「あなたのご両親みたいな人はいないよ。」とそう言ってくれる妻がいて、見直せている事です。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R