辻川慎一つくば便り

お盆の「秋桜」

「階段を上がるのは大丈夫だけど下るのは辛い。」と言う85才の母と一緒に息子の墓参りに行って来ました。若い頃には気にもしなかった事ですが、上がるより下る方が難しいのですね。人生そのものの様に。

私がお墓で手を合わせる姿を後ろから見ていた母が「髪の毛は自分で刈っているのか?」と聞く。「そうだよ。」と言うと「うなじに長いところがあるから、後で切ってあげる。」と言う。いくつになっても息子を良く見ている母でございます。と言うか、限りある命の記憶にしっかりと刻んでいるのかも知れません。


(頂きものの「黄金マクワウリ」を持って行きましたら、早速仏壇に供えてくれました。)


「お前が小さな時は、私が髪の毛を切っていたんだよ。」と言いながら、不揃いの髪の毛を切ってくれる母。

何だかさだまさしさんの「秋桜」の歌詞が浮かんで来ました。お嫁に行く娘が、母を思う歌ではございますが。息子の私に、母の人生が込められて来たのは同じ様に思います。


いつもながら、心尽くしの夕食を用意してくれました。薄味で出汁の効いたタケノコと油揚げの煮物を、特に美味しく頂きました。


「何だかお互いに、あっという間にこんな年になってしまったね。」と言うと「本当に早いね。お前と一緒に住む事だけが私の最後の願いだよ。」と言う。「分かってるよ。だから、とても綺麗にしているよ。母さんに見てもらいたいくらいにね。」と言うと「見に行きたいのだけど、父さんの状態がね。」と言う。

父に取っては、自分が建てた家の方が居心地が良いのは分かりますし、90歳で心臓も弱く転居の負担に耐えられれない様にも思います。そんな父を、息子に預ける訳には行かないと気丈に頑張っている母でもあります。

あれやこれや、自分の人生で「お前には言わなかった事だけど。」と色んな話しをしてくれました。嫌な事や信じられない事を経験しながらも、真っ直ぐに生きて来た事が改めて分かりました。この母だから、私なんだと思いました。

そこで今朝になって「私の家に行ってみないかい?」と思い切って母に提案して見ました。そしたら「行きたい。」と言うので母を私の住む家に連れて行きました。

家の外も中もじっくりと見て「とても綺麗にしている。」と喜んでくれました。取り込んである洗濯物を見ると「後でやるから」と言ってもたたみ始める母。いくつになっても母は、母なんですね。

高速を使って約1時間半を3回走りますので「お前が大変だろう?」と言うので「大型バスの研修は、5時間走るから、このぐらいは平気だよ。」と私。


母と二人きりの外食は、ゲロ込みの友部サービスエリアになってしまいましたが、母に取っては楽しい時間であった様でニコニコしておりました。


色んな人の話しをしながら「どうして人の幸せを羨んだり、恨んだりするのだろうね。私は、そう言う人が嫌いだよ。もう付き合いたくない。」と言う母。「羨んだり、恨んだりして幸せになれるなら良いけど、自分の心が貧しくなるだけだもんね。」と私。
「そうだよ。それで幸せになれた人なんかいなかったよ。」とたくさんの人を見て来た母の話しでございました。

聞けば聞くほど、酷い経験をして来たと思う母ですが、子どもに恥ずかしくない様に気高く生きて来たのですね。

「お前も委員長までやった人間なのだから、惨めな生き方はするな。いくつになっても汚くなるな。オシャレでいろ。」とは、別れる間際の注意でございました。「うるさい母親だと思ってるだろう?」と言う言葉も忘れません。

さて、これからどうなるかなんて分かりませんが、私が母の生きた証そのものであり希望であり続けている事を、私自身が深く思い直さなければならないと思うお盆でございました。

何があろうと子のために気高くある。それは、そのまま私自身の生き方として貫くのが、彼女の息子としての私に課せられた使命の様です。

そして、私を心から信頼してくれる仲間たちへの責任でもあるのだと思います。

https://youtu.be/tTsl9AI8qlo?si=KYHGk9fOl03yMo_5

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