40年来の先輩方への私なりの「心尽くしのおもてなし」を何とかやり遂げて、ばったりと寝てしまいました。
今朝は、2時半起きでございました。
家計状態を確認して、明るくなりましたら庭仕事を始めました。
なるべく丁寧に芝を刈り、雑草を抜き、花や植物たちに水やりをしながら色々と考えます。
先輩方とのやり取りを思い出しながら、後輩たちの事や世の中の状態について考えました。
どうしてこんなに軽いのだろう?

(スペアミントの花が咲き出しました。)
何だか分かった事がありました。重石の役割を果たす人がいないから、フラフラと好き勝手がまかり通ってしまうんだ。邪魔だと重石をどけたら、あっちこっち自分の都合が良い様に動き、軽い言葉を投げ始める。どこに飛んで行くかも分からない。
私がみんなと労働組合を作った時から、私は信頼の対象であったと同時に集団の重石でもあったからバラバラにはならなかったんだ。
そんな事を思い出しました。「辻川さんがいなければ、どうなっていたか分からない。」とも言われましたが、いなくなったらたちまち反旗を翻した人たちもおりました。
たぶんそれは、彼らだけでは無いのですね。
人の集団や組織に、重石の役割を果たす人がいなければ軽くなり、バラバラになる。
当たり前の真実について、今更ながらに気付きました。
息子を亡くして以来、すっかり弱ってしまっておりましたが一人になって、ようやく自分を取り戻し始めて、人や物事が改めて見えて来た様に思います。

(今日の収穫でございます。ミョウガと唐辛子は早速ぬか漬けに入れて見ました。発酵を進めるのに冷蔵庫から出しておいた糠は、ふかふかになっていたので驚きました。発酵させたパン生地と同じ様に膨らむのですね。)
ネットにも、こんな事が出ておりました。
組織って不思議だと感じる事例が、現場では多々出会います。最近の時代を反映しているのか、組織の中に重石(重し)の存在感を出す人が少ないのが目につきます。
「軽い組織」と簡単に表現して良いのか悩みますが、そのような事実には出会います。
どうしてか?これは、40代、50代が時代から若干遅れ気味なので、『自信を喪失』していることが要因のひとつです。
・断言できない
・言い切れない
・厳しいことを言えない
などのような現象からわかります。やはり組織の安定感を出すには、重心位置に存在する重石(重し)的な人材が不可欠ですね。
重圧とか、支配のためとかでなはく人の集団には重石の役割を果たす人がいないと軽くなり、バラバラになり、何もできなくなる。
社会全体がそんなのばかりになっていないでしょうか?
本当に深刻なのは、そう言う人が育てられない、作れないと言うところにある様に思います。
重そうでいて軽いと言うのは、立派な事を言って自分の格好だけはつけたいなんて言う年配者の邪さの問題の様にも思います。

(あちこちに植えられているベゴニアですが、わが家ではとても立派に咲き続けてくれております。)
重石の役割を果たせないと言うか、重石になれないと言うのは人を軽く見て侮っているからなのだと思います。
人を侮るなかれ。やってもらって当たり前にするな。それを貫く人の存在は、当たり前に重くなる。
それ以外は、人として軽く見られる。
当たり前の事ですね。
来年は、仲間たちと作った労働組合の結成から40周年。再来年は、国鉄分割民営化から40周年になります。
私の本質的闘いは、今も、そして終生続いて行くのです。
人を舐めるな!労働者(働く者)全ての連帯の中に未来が見える。それは、軽くは無い生き方の様に思います。