辻川慎一つくば便り

輝ける記憶

朝会社に出勤しますと、観光バスの運転士総員出動状態でした。出庫に向けてバスが並んでいるのはかなり壮観な感じがします。

聞けば他社のバスも動員して20台近いツアーを引っ張って行くとの事でした。

「全部でつるむのですか?」と聞きましたら「まさか、20台もバスが続いていたら邪魔だよ。何台かの班に分かれてうちの運転士が先頭で走る事になるんだよ。」と説明してくれました。

もちろんスクールバスや企業送迎バスもフル稼働ですので、車庫が空っぽ状態になります。

そんな時には、私も含め一人一人が戦力になっていると言う実感が致します。


(車庫脇の木立も、新緑でまばゆく感じます。)


しかし、では私が絶対に必要かと言えば、そうではありません。バス運転士不足とは言え、取り換えは利くのであります。なので「俺は必要とされている。」となると誤解でしかない訳です。

人間が他の動物と違っている点の一つに、自分が社会や誰かに必要とされ、求められていると言う自覚無しには淋しくて生きられないと言う事があります。

会社でも、家族でも、自分が必要とされていると感じられる事に喜びを見出すのです。その究極が恋愛関係ですね。あなたしか無い!と言うのですから、もう死んでも良いくらいの深い喜びになる訳です。

ところが、それも現実には終わって行く。悲恋であろうと成就しようと終わりが来る。命も関係性も永遠では無いからです。

自分が必要とされていないと言う恐怖感が深過ぎると、度を超えた嫉妬や支配、干渉をする事になってしまうのだと思います。

(大きなモミジの木。愛車がミニカーに見えます。)

壮観なバスの隊列も、運転士さんたちも、輝いて見えるのはその場、その時なんですね。

世の中のどんな関係性にも永遠は無い。その場、その時の必要性しか現実には無いのです。

会社が傾けば終わり、大事故や天変地異が起これば終わってしまうのですから。

でも何とか自分の必要性を社会や会社や誰かに認めてもらいたいと頑張るのですね。

まあ、その情熱で人の社会や歴史が作られて来た様に思います。

ただ、必要とされる事がずっと続く訳であありません。それは誤解なんです。

頑張っても頑張っても、通じない時もあるのが現実です。

で、結局は自分を一番必要としているのは自分自身なんですよって自覚する事が大切なんじゃないかって思うのです。

自身を必要としない?自分を大切に思えない?そんな人が、他の人に取っても自分自身が大切なんだなんて思えるはずが無いのですから。

「自分の事しか考えない人」と言われてしまう人は、自分の事を受け入れられないから他の人を受け入れられないだけの様に思います。

自分を大切に思えるから、他の人も同じなんだと大切にできる。

そうすると永遠なんて無いからこそ、この場、この時の関係性が永遠の記憶の様に輝く。その記憶の中に幸せな自分が生き続けるんじゃないのかな。

それぞれが大変な事も抱えながら、輝いている。まあ、私も大変さは同じだから、余計に感じる様に思います。



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