辻川慎一つくば便り

きみ亡き後を生きる。

私が働く研修センターの授業は、17時まで。

授業が終わるとみんなで飛び出して来る感じです。

娘さんたちは、バドミントンのラケットを持って外に行きます。

既に薄暗くて、寒いのですが平気で歓声を上げています。

仲間たちと一緒に楽しみを見つけながら生きている。

思わず笑みがこぼれる光景です。


(妻に頼まれたウイッグが届いたのですが、私にかぶせて楽しんでおりました。)


私にも、若い頃の思い出がたくさんあります。

私は、高専を出て国鉄に入り2年間駅で働いてから運転士になるために「予科」に行ったのですが、その時の同期たちは高校出たての若者たち。

私が22才で、みんなはやんちゃな18才。勉強より遊びが楽しい年頃だったと思います。

水戸市の境を流れる那珂川沿いに、国鉄水戸鉄道管理局の鉄道学園がありました。

体育館もあって、みんなでバレーボールを楽しんだ思い出が甦ります。

考えて見ると、労働組合を作って委員長になる前から、自分の事はからっきしダメなのに仲間たちを「守る!」事になると無類の力を発揮していた様にも思います。


(動労水戸の木村委員長が撮影した大子の職場風景です。)


ある時、後輩の車に乗せてもらったのですが、一時停止を見逃したらしくバイクの警官に止められてしまいました。

「辻川さん。ヤバい。俺免許の点数が無くなっちゃう。」と言う。

「何だって?そりゃあ参ったな。じゃあ任せろ。」と言って

助手席から、車を止めた警察官に強烈に抗議しました。

「どうして止めたのか?」

「一時停止をしなかった。」

「一時停止の標識はどこにあったのか?見えにくくて私も分からなかった?安全のためなら見やすくすべきではないか?見えにくい標識については、そちらに責任がある。それを改善してからにしろ。今回は、後輩に責任は無い!」

まあ、そんな感じでやり合っていましたら「後で署に呼び出す!」と言って行ってしまいました。

何と動転したのか違反キップを切りませんでした。

後日「辻川さん。呼び出しが来ました。どうすれば?」と後輩が心配して来たので「違反キップを切ってなければ、証拠は無いから大丈夫。切らなかったのは相手のミスだからね。」

で、後輩は免許停止を免れたのでございます。

今の様に「防犯カメラ」の無い時代のお話しでございます。

果たして私の行為が良かったのか悪かったのか分かりませんが、そう言う危ういバカだから一緒に生きてくれた仲間たちができたのかも知れません。

JRと闘い抜いたのは、国鉄分割民営化で仕事を奪われ命をも亡くした仲間たちがいたからです。

私は、責任者としてクビになるはずでした。私が逃げたら終わりだと思って来ました。

だから再び強制配転か、JRの再雇用無しかのギリギリを迷わず闘い抜きました。

それに何の後悔もありません。
ただ「クビを掛けて闘う!」なんて口で言ってた連中が、実は心底ビビッていた事が後から分かりました。

そうした連中は、私の選択が間違っていると言っている。

私は、私自身の信義を通しただけであります。

「我亡き後洪水よ来たれ」が、資本主義だとマルクスは言いました。

ならば資本主義の現実への批判とは「きみ亡き後を生きる」と言う事ではないのか?

亡き人たちと今を生きる事ができるのが、人間ですから。そこに本当のつよさがある様に思うのです。

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