辻川慎一つくば便り

もったいない。

昨日は、疲れない体のテーマでしたが、まだまだ達人の域には遠いらしくいつもの様に木曜日には疲れがピークになります。
紫外線防御も心掛けているのですが、それでも目も痛んで来ます。
まあ、防御しないともっと辛くなり安全にも関わりますので、しっかり防御は無駄な事にはならないと思っております。


朝乗務の後は、なるべくほっとする道を通って帰ります。


細い道路脇の花菖蒲が見事なので、「あやめ園も綺麗だろうな」と思い妻を「牛久沼あやめ園」に連れて行きました。

ところがこちらのアヤメの方は、あまり咲いて無いので「ショボイな~」と言ってしまいました。

そしたら妻に「そんな事を言われたらつまらなくなってしまうよ。」と叱られてしまいました。



妻の方は「花菖蒲よりアヤメの方が茎も細いし、花ビラも繊細な感じがするね!」と良く見て楽しんでおりました。


悪気は無いのですが、どうもパット見で決めてしまう自分を反省した次第でした。

混沌とした泥の中からかように美しい花を咲かせては枯れて行く自然生命の営みを見に来ていた人もかなりおりました。

その一瞬をカメラにおさめる事に夢中になっている人もおります。



エントロピーの事をブログに出した事もありますが、それを思い出します。


「エントロピー増大の法則」と言うのがあります。「世界の物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない」という法則ですが、生命活動と言うのはそれに抗いながら整理し続ける、そして結局は抗い切れなくなって死を迎える。しかし、死ぬ事で他の生命につながって行く。それが自然の営みなのだと言う事なんですね。

命は、乱雑になる世界を絶えず整理し、美しくしようとする。と言うか美しさそのものなんですね。

ところで、それを美しいと感じられるのは人間だけ。

ですから美しいと感じられる事が人としての豊かさと言う事になります。

死は生命の最後の利他的営みであり、悲しいだけの事では無い。

死ににこだわるよりも、混沌や乱雑に向かう世界の中で花を咲かせて行く事自体に、生命の意味や輝きがある。

どうも私は、分かった気になってパット見で人もものも自然も判断して来てしまった。

知識や科学で割り切れない、計り知れない自然と命の豊かさと大切さに驚く感性をいつの間にか置いてきてしまった様です。

それが、本当のもったいないなのかも知れません。自然体の達人になれない訳です。

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