辻川慎一つくば便り

すっかり忘れていた事

2時間かけてJR時代からの仲間たちとの6年ぶりのゴルフ。大切な時間を過ごした後は、実家に向かいました。

そのまま帰宅するよりは、はるかに近い距離なので実家の断捨離がてらでございました。

89才の父、84才の母が「慎一が好きだから」とお酒と精一杯のごちそうを用意して待っていてくれました。


親にも、仲間たちにも「あなたはどれだけ大事にされて来たの!普通は逆ですよ。」と妻に言われますが、どうもそうらしい。自分では分からないのでございます。


貧乏労働者の息子でハングリースピリッツで生きて来たと思って来たのは私だけの様です。

実際には、大事にされまくって育ち、今も色んな人に大事に思われて生きている様です。

両親に取っては、間もなく67才になろうとも「息子は息子」だと言い「お世話になった人への感謝を決して忘れてはいけないよ。」と教え続けているのでございます。

なるほど、この親にして私だったのだと改めて思う私がおります。

翌朝、母と一緒に断捨離をしました。母が色々な思い出を語りながら、一つ一つ捨てて行きます。

手編みの毛糸の毛布。「あたたかいんだよ。二枚作ったんだ。」

「あ〜子どもの頃母さんに、セーターや手袋、靴下まで編んでもらったね。覚えているよ。」

かまどでご飯を炊きながら、朝食、お弁当の支度をして、自分もパートの仕事に行く。買い物をして帰宅すると夕食の支度。洗濯。それが終わってから編み物や繕いものをしていた。炊飯器も洗濯機も無く、井戸水を汲んでいた時代でございます。

今思えば、そうして夫を支え、2人の子どもを育てた。私は母が17才の時の子でしたので「青春時代なんて無かったよ」と言います。子どもを育てる事が全てだったとも言います。

なので私たち兄弟のものは、全て保管して来たのです。

保育園、小学校…成人して家を出るまでの成績表やら証書やら学級委員の任命書まで。一つ一つが母の人生でもあった訳です。



こんなものまで保管しておいてくれました。


嵐の様に乱暴に生きてしまった私の方は、私の節目節目が母に取っても大切な節目であった事に思いが至りませんでした。

「お前は怖いくらいに賢かったよ。」と言う母に「成人してからは、バカ息子だったね。」と謝りました。



たぶん学生時代に描いた絵も持っていてくれました。


本当は花や植物も好きだったのかも知れませんね。

忘れていた事を母のお陰で思い出させてもらいました。

何より、誰より、先ず感謝すべきは母であり両親である事。

それが土台にあって、お世話になった人に感謝できる自分である事ができる。

苦労しっぱなしだった母が「私はお前がいるだけで幸せだよ。」と言います。

あ〜。人をとことん思える人に孤独なんて事は無いんだと、身を持って教えてくれている。

あとどのくらい元気でいられるかなとの思いは、たぶんお互いの思いだと思いながら、そのひと時の有り難さを胸に刻んで参りました。

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