10代から約10年間、色んな職業を経験してバス運転士を目指す青年と週末3日間一緒です。
自分の世界をさらに作ろうとしながら、自分と言うものへの強固なこだわりがあると感じます。
自分と違うと思うとしっかり顔にも出ます。
さて、どう関わって行けば良いのか?かなり数奇で破天荒な人生を歩んで来た私でも、若者とどう接し、向き合えば良いのかと悩みます。
その彼が、バス運転士としての技量が高い先輩方の何が凄いのかと私に問います。
しばし考えてしまう私です。それぞれに強烈な個性がある方々ですので。
そして「周囲を良く見ていて、状況判断が凄い事じゃないかな。」と話します。
私自身もでしたが、自分も含めて見ている様で見えていないと言うのがアマチュアレベルだと新人さんたちの研修指導で改めて思った事でした。
バスの操作が未熟だと、そちらに気を取られるので状況を見ると言う事が一層困難になります。
なので技量の向上と、状況判断ができる目と言うのは一体なんですね。
そして、経験と記憶を積み重ねる事で熟練の運転士になって行く。
その様に思います。
自分で運転していた方が気楽な面がございますが、このところは「新人研修指導」担当が多いのです。
技量的には、ベテラン運転士さんたちに全く及ばない私にですか?と思ったりもしますが、任せて大丈夫と言う判断があっての事ですし、仕事ですから引き受けて任を果たすしか無い。
でも、私の中では一人一人を見ながらの葛藤がございます。なので、精神的に結構疲れます。
家に戻り、一息ついて花や植物を見るとホッと致します。つい「ただいま。元気か?」と声をかけてしまう私がおります。
寝る時間が短いので軽い寝酒を飲みながら、心のリセットをします。
それから、読みかけの本を少しだけ読みます。

昔読んで挫折した原民喜と言う人の「夏の花」。表現がひときわ難しい日本文学です。広島への原爆投下への深い思いを表現したのですから、簡単には入らないのだと思います。また、簡単に分かった気になってはならないのだとも思います。
また、読み切れないかなと思いながらも一行、一行と向き合っております。
その本を読みながら、思い浮かんできた言葉があります。
君が見たものは何か?
誰にも見た事のないものを君は見ている。
同じものは何もない。
同じく感じる人もいない。
だから、自分の感覚を恐れるな。
人と比較して、自分が奇異なるものなどと考えるな。
…
未完ではありますが、亡くなった息子を思い、青年くんを思い、私自身に向けた言葉でもございます。
私たちは、見ている様で見ていない。感じている様で感じていない。自分自身の目で、しっかりと対象を見る事、感覚で感じる事。
それが生きていると言う事だ。絶えず、そこに立ち戻ろうよ。
さて、青年くんや同僚のみなさんや周りのみなさんを一層良く見て感じる事が、他の誰でもなく私自身なのだと思います。