道路事情と言うのは、どうも自分の思い通りになんか行かない。土曜の朝は空いていて気持ち良く運転できたのに、夕方はとんでもない渋滞に巻き込まれた。ようやく終わって回送になると信号全てに引っかかる。「余計な事は考えるな!」と波立つ心に言い聞かせながら、終了後の週末給油、清掃、点検を一つ一つ正確にやる努力をする。はやる心で、あれもこれもとやると抜ける。失敗する。そして、68にもなって格好が悪い。

1週間が、ようやく終わった。帰宅して作り置いた油揚げの巾着を頂きながら、遅い晩酌。
初めて作ったけれど、美味い!油揚げは遺伝子組み換え大豆無使用の寿司アゲ。調味料も化学的に作られたものは使わない。出汁は昆布の水出汁を作っておいたもの。
自分で食べるので、切り方は雑なので見かけは良くないけれど我ながら美味い。
緊張から来る疲れで、眠いのに飲み過ぎる。こう言うところは、自分でだらしないと思う。いつの間にかウトウトして、椅子から落ちそうになって目覚める。そして、もう少し良いかと飲んでしまう。
すっかり度を超えてしまった。
なのでやっぱり私には、偉そうな事は言えないと思う。
(タイで作られたカシューナッツのお菓子も美味いと思う。)
今年もインフルエンザワクチン接種を希望しなかった。職場の同僚が風邪をひいて咳をすると、別の同僚が「インフルエンザだ!離れろ。」と笑う。「こんな時に、冷たいのが分かるよ。」と言われた同僚が言う。
そんな時には、詩人の谷川俊太郎の「ともだち」と言う詩が思い浮かぶ。「ともだちって、風邪が感染っても平気だよって言ってくれる人」確かそんな一節からはじまる。
インフルエンザやコロナで、何を非科学的な事を言ってるんだ!感染ったら大変だろうと、今なら言われそうな詩だ。
しかし、伝染病の世界史と言う本を読んだ事があるが、特効薬で防御されて来た訳ではなく、社会衛生と食事の改善によって防御されて来たと言うのが事実。衛生と免疫力の向上。病は自分自身の力で治って行くと言う訳だ。
そうすると、不衛生な状態や良くないものでとりあえず腹を満たしながら何ていう生活をして、感染した人を恐れると言う事の方が間違っているんじゃないか?と思う。
谷川俊太郎さんの詩にある通り、子どもの頃、私も友だちが病になったら心配で会いに行った。だいたい、子どもは病気しながら、それを乗り越えながら強い大人に育つ。苦労しないと弱くてつまらない人になる様に。
会社の指示であるし、周りの人が信じているので実車中はマスクをしているけれど、それで感染が防御できるなんて思ってはいない。手洗いとうがいの方がよっぽど大切だと思っている。
なので例えインフルエンザだろうとコロナだろうと感染した同僚を恐れるなんて事は、私には一切無い。その辛さに思いを寄せながら「無理せずに、良いものを食べて、安んで下さいね。疲れで免疫力が下がっているとなかなか治りませんから。」と、そんな声をかけている。恐れるべきは、自分の心であり人の心だと思っている。
衛生と食べるもの。そして心を支える友だち。
68年間を振り返り、改めて大切な事だと思っている。身体も心も風邪はひくから。
(カナダの映画。淡々としているが、心に残る映画だった。)
以前にも載せた事があると思う。
ともだち(谷川俊太郎)
ともだちって
ともだちって かぜがうつっても へいきだって いってくれるひと。
ともだちって いっしょに かえりたくなるひと。
ともだちって おかあさんや おとうさんにも いえないことを そうだんできるひと。
ともだちって みんなが いっちゃったあとも まっててくれるひと。
ともだちって そばにいないときにも いま どうしてるかなって おもいだすひと。
ともだちなら
ともだちなら たんじょうびを おぼえていよう。
ともだちなら びょうきのときは おみまいに いこう。
ともだちなら たびにでたら えはがきを かこう。
ともだちなら かりたものは きちんと かえそう。
ともだちなら いやがることを するのは よそう。
ひとりでは
ひとりでは もてない おもいものも ふたりでなら もてる。
ひとりでは とどかない せなかも ともだちが いれば かいてくれる。
ひとりでは こわい よるのみちも ふたりで あるけば こわくない。
ひとりでは つまらないことも ふたりで やれば おもしろい。
ひとりでは できないことも ともだちと ちからを あわせれば できる。
どんなきもちかな
しかられた ともだちは どんなきもちかな。
なかまはずれに されたら どんなきもちかな。
しっぱいを わらわれたら どんなきもちかな。
ないしょばなしを されたら どんなきもちかな。
やくそくを やぶられたら どんなきもちかな。
谷川俊太郎さんは、三度結婚して離婚したと言う。結局一人が好きで、その時間を大切にする人だった。料理もしていたと言う。私は、彼みたいに有名でも無いし、残した詩も無いけれど何だか分かるし似ていると思う。