辻川慎一つくば便り
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オッペンハイマーをみました。
穏やかな日曜日の朝を迎えています。
昨日は、妻と一緒に映画を観て来ました。
アカデミー賞7部門を受賞した「オッペンハイマー」でございます。
イオンシネマで1000円で映画が見れると聞き、悪戦苦闘しながら作りました「ミニオンカード」。さらにスマホと格闘しながらようやくゲットした鑑賞ナンバーでしたが、どのイオンシネマで見られる訳では無く近隣のつくばイオンでも、土浦イオンでも観られず、守谷まで行かないとダメと言う現実を知り、まるで詐欺にあった感じでございました。
1時間かけて守谷イオンに行き、チケットに換えようとしましたがアナログ高齢者故に訳が分からない。
困り果てて、若き女性労働者に助けを求めてようやくチケットに交換できた次第です。
その女性労働者の丁寧な対応に感謝しつつも、映画を観る前に疲れ果ててしまった次第でございます。
シニヤ割引や夫婦50才以上割引の方がはるかに簡単で、少しもお得感を感じませんでした。
ともあれ何とか席についた訳ですが、3時間の長編映画で、内容も重く眠さと格闘しながら観て来たのでございます。
チケット売り場と売店の上で、ジブリ作品の歴史が一覧できるのは面白い。
「原爆の父」と言われるオッペンハイマーの物語を軸にして、核兵器開発と時代的政治的背景を描きながら、その本当の脅威を観た人に考えてもらう。かなり難しい映画でございます。
テーマが重いためか、世界的には大きな反響との事ながら観客は少ないし、高齢者が大半。時代背景を知らない若い人には難しすぎる様にも思いました。
妻も、「難しすぎるので、あなたに聞きたい事がたくさんあったよ。」と言って、見終わってから色々と聞かれた次第です。
オッペンハイマーは、「絶対兵器」と思われた核兵器開発を実現する事に悩みながらナチスより先に開発しないともっと悲惨な事になり、戦争が終わらないと考えて開発の中心になって原爆を作り上げる。
しかし、その間にナチスは降伏してしまう。日本も降伏寸前だった訳ですが、原爆を日本に落とす事で核兵器で戦争が抑止できると言う論理で使用する。
広島、長崎に落とされた原爆の凄まじい惨状にオッペンハイマー自身が苛まれ、水爆開発に反対する。
アメリカの政治家たちは、戦後の脅威を社会主義国家ソ連(現ロシア)と考えて、主導権を握るために原爆を落とした上でさらに水爆の開発に突き進むために、散々持ち上げて使って来たオッペンハイマーを一転して「ソ連のスパイ。共産主義者。」として弾劾し始めた。
オッペンハイマーの「名誉回復」は最近の事なんですね。それで作られた映画でもある訳です。
ところで、映画では最初の核実験成功のシーンがあるのですが、そこにいて光や爆風を浴びた人たちも全員被曝している事を知らない。
歴史的成功に歓喜の声を上げるのですが、同時にそれは自分の苦しみと死の始まりでもあったのです。
つまり、最初の被曝者は自分たち自身であった。
その後、核実験はアメリカで何度も行われ、「原爆が戦争を終わらせ、アメリカ兵を救った!」と信じているアメリカ人自身が実は大量に被曝して来たのです。
その現実を丹念に映画化しているのは、日本人の映画監督なんですね。
昨年から上映運動が始まった「サイレントフォールアウト」でございます。
つまり、「オッペンハイマー」のその後の現実が「サイレントフォールアウト」になっているのです。
全くの偶然であるのですが、偶然にも必然がある様に思います。
ロシアのプーチンは、ウクライナで核兵器を使用する選択をほのめかし、パレスチナの戦争はイランとの戦争に拡大する様相まで強めています。核戦争の脅威は、目前にあるのです。
さて、広島、長崎で原爆を落とされ、国際競争で叩き潰されないためには、原発も核兵器も必要とする日本。
原発事故で被曝してガンになっても、陽子線治療や特効薬が開発されているから心配無いと言う政治家や企業経営者たち。
アメリカ人の「ノー天気さ」を笑えるのでしょうか?
戦争を終わらせるための「神の火」の「絶対兵器」は、世界の終わりの始まりだったと言うのが映画オッペンハイマーのメッセージでございます。
最近ランドクルーザーの盗難が相次いでおります。盗難防止の最新システムが有効なのは1年程度だと言われているのですね。
絶対安全なんて事は無く、いずれ破られて行く訳です。
核兵器を使えば大丈夫?
それが自らの人としての死であり、人類としての死滅である事から目を反らしてはならない。
存在をかけて子どもたちを守って来た、母の姿と声をもう一度謙虚に見て聞く事に、戦争と核を止める原点がある様に思います。
オッペンハイマーの妻が「あなたは、裁判で弾劾されなければ許されるの?」と彼に言います。
人として自分自身に問わなければならない事があるのだと思います。
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2024/04/14 08:18
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袖すり合うも
みなさま、週末金曜日ですがご無事ですか?
お陰様で、多少ながらも色んな人と関わる毎日でございますが、相手への興味でなく自分が興味ある話ししかしない人が多い様にも感じます。自分が見たり聞いたりの噂話はするのですが、眼の前の人はあまり良く見ていない感じが致します。
今日は、朝の乗務後に留学生の壊れた自転車を自転車屋さんに運ぶ仕事を依頼されて、久しぶりにスクールバスの同僚たちと会えました。「お変わりはありませんか?」「辞めた人はいませんか?」等笑顔で話しながら、変化が無いかお尋ねします。
「あ〜誰かいた様な?誰だっけ?」みたいな感じなんですね。
何だか離れている私の方が知っていたりする訳です。
まあ、思い出されない人にもそれなりの理由があるのだと思います。辞めた方たちは、人より自分の方々でもございましたので高齢化や病気の問題だけでも無い様に思いました。
自分の事にしか興味がなければ、他の人がその人を案じる事も無い訳です。つまり、惜しまれない。
(自転車屋さんから軽トラを借りて来て、3台の故障自転車を積み込み揺れない、倒れない、落ちない様に縛ります。見様見真似の自己流ながら、何とか無事に配送できました。)
かく言う私も、他人事ではありません。「辻川さん、顔を見なくなったから辞めたかと思ったよ~。」「しばらくいないと席が無くなる会社だよ。」なんて言う介助人さんもおりましたので。
「油断も隙もない会社ですね〜」と笑ってお返しするのですが、それでもみなさん多少なりとも気にかけてくれている事を感じたりします。
自分の事や事情ばかり考えて言動していると、結局それだけの関係でしか無くなるのですね。
いくら頑張っても年は取りますし、身体も衰える。定年が無いドライバーとは言え身体が壊れたら、安全上の問題からもお払い箱入りになる。
その厳しさも現実ですが、人としてお払い箱入りにさせられるのには自分自身の人への関わり方に原因がある様に思います。
(疲れた身体に、妻ランチが沁みます。しらす、アボカド、トビッコにレモン丼ぶりでございました。)
昔から「袖すり合うも他生の縁」と言われて来ました。
他生とは、仏教の考え方で人は何度も生まれ変わるんだよって事なので多少では無いのですね。
つまり、袖が擦り合う様にすれ違う人にも深い縁がある。だから、大切なんだよって事ですね。
その様に人を気遣い、縁を活かすも殺すも自分次第と言う訳です。
長く人を見て来ましたので、その通りだよな~と思う私がおります。
私たちはやっぱり奇跡の様な出会いをして、今を生きているのでございます。
縁は、安易に無駄にする事も、悪い事に使う事も出来る。そして、大切にする事も出来る。大切にする努力を惜しむかどうかなのだと思います。
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2024/04/12 16:28
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束の間
明日はまた雨が降る様です。
今日は、束の間の晴れ間になり近隣の公園には平日にもかかわらず「お花見」の人たちが来て、駐車場が満杯でございました。
晴の日の桜は、ひときわ美しく見えます。晴れ間も、桜の花も、あるいは人生も束の間に思えます。
ところで、「束」と言うのは握りこぶしの長さを言うのをご存知でしたか?一束が8センチとの事でございます。
その様に短く、儚いと言うので「束の間」だそうです。
ソメイヨシノの開花が例年より遅いため、八重桜も咲き始めております。
握りこぶしと言えば、私は仲間たちと一緒にこぶしを突き上げて来た事を思い出します。
こぶしを突き上げるのと言うのは、国際的に「抵抗と団結の象徴」なんですね。
労働者は、人として理不尽な扱いをされる事に対してみんなで団結して抵抗する。その時に、一緒にこぶしを振り上げるのでございます。
どうも金持ちを妬んで、金を取るみたいに思うふしもございますが、働く者の気持ちや誇りを踏みにじる事に対して、心を合わせて抵抗するのが本当の意味であると私は思います。
それぞれ違う人が、働く者としては同じだと心を合わせられる事。それ自体が、人間本来の共同性を取り戻す喜びになる。それが、団結すると言う事の素晴らしさなのだと思うのです。
妬みだとか、嫉妬を共有するのでも、何か立派な理想を共有すると言うのでも無いのだと私は思います。
別に金や権力を持っている者が幸福だとは限らない。それを守る事に汲々とする一生もまた束の間であり、そこに永遠がある訳でもありません。
小さな対立や違いを超えて、助け合い、理解し合い、悲しみは半分に、喜びは倍に。束の間のこぶしを突き上げるのには、そんな意味がある様に思います。
そう言えば、間もなく5月1日のメーデーの日が来ます。
例え小さくても、心から一緒にこぶしを突き上げられる仲間たちを増やして行けたら良いですね。
同僚が、わざわざ自宅農園に植えている芝桜の苗を分けてくれました。
こちらの桜も、一際嬉しく感じます。
私たち労働者は、束の間を一緒に働き、喜びを共有しながら生きております。
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2024/04/11 16:38
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桜咲く
みなさん、お元気でしょうか?
せっかく満開になった桜に、強い雨と風。終わってしまうかと思っておりましたら、まだまだ頑張っております。
(昨晩の雨上がりの夕日に匂う桜花でございます。)
精神状態不安定もありましたが、自らの失態で営業車を降ろされ最低賃金の雑用係を1年間。内心は辛かったのですが、妻がいて、仲間たちがいるので耐え抜きました。
しかし、それも諦めなければとても貴重な経験の日々になったと思います。
そこからマイクロバスながら企業の送迎バスへ「復帰」して約半年になりました。
そして今度は「大型バスに乗ってもらうかも知れない。」との話しがありました。
まあ、どうなるか分からないのが中小企業の現実ではありますが、そう言う話が来る様になったと言うだけで、ずいぶんと信頼が取り戻せた感じがしております。
(近隣の桜の名所。牛久大仏です。昨年妻と訪ねました。)
大型バスを運転している人たたくさんいますので、それがどうした?とも言える訳ですが、私に取っては62才での初挑戦から5年後の再挑戦になるので、不安はあるものの、やってみたいと言う意欲があるのでございます。
その間どれくらい自分が進化できたのかを、それが実際に通用するものなのか?もちろん、失敗は許されない仕事だからこそ挑戦したいと言う思いがあります。
他の人との比較でなく、自分自身のあらたなチャレンジでございます。
(小貝川の福岡堰もなかなか見事です。一昨年妻と見に行きました。)
受け身でいると何をしても愚痴っぽくなりますが、何事も新しい挑戦と思えば新しい発見があり、自分の成長があり、楽しめるのだと思います。
その意味では、偶然なんか無いのだと思える様になって来ました。
社会的な扱いは高齢者になる訳ですが、あまり自分を高齢者だと思っていない私がおります。
まあ、そんな事に縛られて自分を制約する必要は無いのだと思います。
正真正銘の労働者として、挑戦し続け一生を貫くばかりでございます。
その様に生きて来ましたので。
間もなく出庫です。
当たり前に見えるかも知れませんが、一日一日、新しい試練があり発見があります。
自分自身の人としての成熟ために、家族や仲間たちと一緒になって頑張り続けます。
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2024/04/10 16:40
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労災死亡事故の悲しみ
報道では小さな扱いしか受けませんが、4月6日稲敷市でベトナム人青年がクレーン車から落ちた鉄骨の直撃を受けて亡くなりました。
昨年11月まで、外国人実習生の空港送迎や買い物実習、寮の整備、市役所手続き、健康診断の送迎等を担当し、現在はやはりベトナム人実習生の工場の送迎バスを運転を担当していますので、とても残念な思いがいたします。
(実習生のみなさんは、日本の桜を見る事も楽しみにしておりました。)
日本には、多くの国から実習生と言う名の労働者が来ています。
その配属先も限定されながらも様々です。
ベトナムとインドネシアの若者たちが特に多いのですが、持参する荷物の量も国事に違いがあります。
特にベトナムの実習生の荷物は、他の国の人に比べると倍くらいの量があります。
航空会社の規制が緩い事もあるかもしれませんが、迎えに行く時には荷物の量も考えないと乗り切れませんので、ベトナム人の時は別に荷物を運ぶトラックを用意して迎えに行く事もありました。
ある時、ベトナム人通訳の人にその事を訪ねた事があります。
「ベトナムでは、日本と違い家族をとても大切にします。なので、外国に送り出す家族があれも、これもと用意するので大量になってしまうのです。」と話してくれました。
ベトナムの人たちは、家族の様なコミュニティを作りお互いを支えている事も聞きました。
(今日は強い雨と風で、万博記念公園は、カモたちと私の貸し切りでございました。)
今も、彼ら彼女らの顔を見ながら、その無事を支え願う毎日ですので、「小さな」労災死の報道に痛みを感じてしまうのです。
彼の突然の訃報を受けた家族たちは、どんなに衝撃を受け、悲しむだろうか?
と思います。
家族を思い、仲間を思い、人を思う人の思いは変わらないと思います。
人の思いを踏みにじる戦争はもちろんダメですが、それだけでは無いと思います。
私たちの傲慢や不注意は、取り返しの効かない悲しみを生む事と隣合わせなのだと思います。
なので、やはり他人事ではありません。自分が、悲しみを生む原因になってはならない。笑顔を支えると言う事には、厳しい責任がある事を、この痛ましい事故は教えてくれている様に感じます。
今日も自分に厳しく、笑顔で頑張りたいと思います。
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2024/04/09 16:20
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