辻川慎一つくば便り

だるまさんがころんだ

朝5時前には目覚めましたので、せっかくの休日ですから気温が上る前に散歩に行こうと、妻と出かけました。


木陰を求めて、先ずはつくば市の「ゆかりの森」へ。


ところが、自然が豊か過ぎるのか蚊が襲いかかって来るので散策どころではありません。

なので万博記念公園に行って見る事に。


こちらは、大丈夫でした。


妻が「車が無いと公園にいけないなんて、東京では考えられなかった。」と言います。

一緒に歩いていると色んな生き物をすぐに発見します。

私の方は、当たり前過ぎるのか気にもならない訳です。

育った環境の違いを色んな場面で感じます。

お互いに当たり前じゃないのですね。


こちらも妻が即座に発見しました。


発見されそうだと感じたのか、小枝の振りをしてピクリとも動かないニホンカナヘビでございます。

「動いたら鳥に食べられてしまうんだよ。まるでだるまさんがころんだだね。」

と私。

先月でしたか、スクールバスの中で子供と「だるまさんがころんだ」10回戦をやった記憶がよみがえりました。

ゲームとは違い、カナヘビさんに取っては負けたら食べられてしまう訳で冗談じゃない!って感じかも知れません。

人間のゲームって、何だか怖いスリルがあるから面白いのかな~なんて考えました。

ゲームなら面白くても、本当の恐怖は笑えませんよね。

本当の恐怖にさらされている人がいたら、何とかしなければならないって思うのも人間なんですよね。

つまり言葉も越えて心でつながれるのも人間と言う事かと思います。


私が小学生の頃に見たベトナム戦争の写真の一つです。


戦火に追われるベトナムの人たち。

どうして他国に行って戦争をするのか?そして、憎しみ合い、殺し合うのか?

私の心は、揺り動かされて戦争に反対する運動に共感した訳です。

恐怖感と言うのを自分でも感じられるからなんですね。

つまり、理屈が先でなく心で感じたのが先だった訳です。

理屈が心を支配し始めると、はじめに感じた事をねじ曲げはじめます。



妻がアマゾンプライムで観て、私に聞いて来ました。

ベトナム戦争に反対する羽田闘争で亡くなった、京大生山崎博昭さんのお話しを中心にした映画でした。

山崎さんの思いは、理解できる気がしました。そもそも、そこに共感して私も運動に身を置いた訳です。

ところで山崎さんが亡くなった原因は、警察官の暴力によってではなく仲間が奪った装甲車の下敷きになってしまったことなのですね。

全ては、戦争を進める人間や国家が悪いと心の働きを止めてしまうならば、山崎博昭さんの思いと死を違うものにしてしまうのではないか?

それだと真の批判にならないと思うのです。

国鉄分割民営化で、目前に死を見て来た者としての本当の批判とは何かを改めて考えております。

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