辻川慎一つくば便り

電車の中で

一昨日、有給休暇を頂いて水戸に出掛けた私は、翌日乗務で朝が早いのでJR時代の仲間たちとの楽しいひと時を早めに切り上げて電車に乗りました。

17時ちょっと前。混んでいたのですが、前の方に進んで開いている席を見つけました。良い機嫌で眠くなりましたが、眠ってしまって下車駅を通過してしまうと面倒ですし、帰ってから眠れなくなってしまうと思いうつらうつらしながらも我慢して起きておりました。

時折周りの人を見ては、目をつぶる。そんな感じで電車に乗っておりました。

まだ退勤時間にはちょっと早かったのか、女子高校性が目立ちました。

会えなくなった孫たちも、高校生くらいになっているかな〜なんて思いながら。


(種がどこから来たのか分かりませんが、ナンキンハゼの幹の脇から「マルバルコウソウ」が出て来て可愛い花を咲かせました。こちらでは良く見られる秋の花です。)


私の孫は、女の子が3人で小さな頃は私と遊ぶ事をとても楽しみにしておりました。

とにかくそれぞれが「私を見て!」と言う。こっちを見てると、「私を見ない」と怒って泣き出すのですから大変だった訳です。「いい加減にしなさい!」と私が怒ると、3人で組んで私を責める。

いたずらもするし翻弄されっぱなしだった訳です。

まあ、私も子どもの頃はずいぶんといたずらをして大人のお兄さんたちを困らせた記憶がありますので、しょうがね〜なって付き合っておりました。何気に「おじいちゃん」ではなく「お父さん」と呼ばれておりました。自分たちの父親は「パパ」で、私をおじいちゃんとは言わず「おじいちゃんじゃない!」と抗議しておりました。お爺さんと言うイメージでは無かったのでしょうね。

それにしても、女の子と言うのはまだ2〜3才の頃から「私を見て!」なので、男の子とは違うんだな〜と思ったものでした。

そんな事を思い出しながら、不躾で無い様に女子高生たちを見ておりました。

脇の子は、化粧に余念が無い。向かい合わせの子は、たまたま視線が合いましたら、ニコッとするので、ちょっと微笑み返しを致しました。
下車するために立った子は、私の前でしきりに髪を撫でつけておりました。

その車両に乗り合わせた人の中では、間違いなく最高齢のはずなんですが「私を見て」と言うオーラの様なものを感じた訳でございます。

小さかった孫たちも今はきっとこんなかも知れないなって、思った次第でございました。

一人だけをじっと見ていると大変な事になる事も経験済なんですね。

ともあれ、思い思いに私を見てってやれる事は良いな〜って思うので非難がましい気持ちには全くなりません。

それぞれ良いね〜。大丈夫だよ。可愛いよ。自分を大事にねって伝えたくなってしまいます。


(早くもシクラメンが、出回り始めました。小さくて真っ赤なシクラメンを200円で買って来ました。)


私が生まれた頃に青春時代を送った女性の「遺稿集」を読み出しました。今では忘れられてしまった演出家渡辺浩子さんと言う方の日記です。

その本には「私の強い望みは旅行する事。どこでも良い山があり川のあるところ、どこを見回しても緑、空気の澄んだところ。でも母は許さない。世間の人も変な目で見るだろう。旅行に関しては女に生まれて損したと思う。」とありました。

つまり、その時代の未成年の女性たちには旅をする自由も制約されていたのですね。

他の人の自由や生きている事を侵害しない限りで「私を見て」の自由だって大切な事だよって、不自由だった昔の事を知れば、そう思うのです。

ただ、当たり前にそうなった訳ではないって事を知る事は、今を大切に思うためには必要な事なんじゃないかって思うのです。

色んな悲しみや苦労や喜びがあって、闘ったり、懸命に生きたりして亡くなった人たちがいて今がある。だから今が大切だって思える。

花も。いつも私を見て!大事にして!って咲いてますからね。

そう言う私の目線と言うか、オーラが伝わっていたのかも知れませんね。

今の目線で息子を見ていれば、死なずにきっとまだ咲いていたはずだよ。

お父さんは、今そんな事を思っているんだよ。

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