生きた証
みなさまこちらの天気は下り坂の様です。
なので、暗くなるのも早く出庫も帰庫も「夜行バス」だと介助人さんが笑います。

(空の深い蒼と日没の鮮やかな茜色を同時に見ることは、東京ではできないと妻が言います。)
午前中の乗務が終わり、バスの清掃をしていると上司からみなさんに招集が掛かりました。
何かと思いきや、先輩の一人が退職するので今日が最終乗務だと告げられました。
つまり、ラストラン。
なんて突然のことでしょう!と驚く私でした。
まだ、みなさんの前でお別れのあいさつがあるだけましなんでしょうか?
筑西の時の先輩は、突然来なくなって終わりでした。
何年も、見えざる苦労をしながら責任を果たし。去る時には何というあっけ無さ。
私は、職場に現場労働者のための労働組合があり、信頼する仲間たちがいることの意味や幸せを改めて感じました。

(妻がご近所で見つけて、私もギクッと致しました。人がいないのが怖い。妻いわく「ホラー脱ぎ」との命名でした。)
ともあれ良い記憶だろうと、嫌な記憶だろうと人の記憶は残ります。
だからあなたを良かれ悪しかれ思う人が、必ずいます。
その先輩も私の中に生きて記憶されています。
一緒に生きて関わり合った日々と時間がありました。
いずれこの世を去る身であることも同じです。
その掛け替えの無さ。そして、たくさんの人の記憶の中で心から信頼できる仲間たちがいることの有り難さを、私は労働組合を通して学びました。
何がなんでも自分の存在をかけて、全力で守る。銭金に引き代えられない、人としての本質を私はつかんで来ました。
別の会社に来て、しみじみ感じることです。
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